出来事が人格に広がる構造
指摘された瞬間、必要以上に落ちる
上司の一言で、頭が真っ白になる。
「ここ、違うよ」と言われただけなのに、胸がざわつく。
叱られた日の夜、同じ場面を何度も反芻する。
失敗の後、必要以上に自分を罰したくなる。
“恥”が残って、寝つけない。
本当は、起きたのは一つのミスです。
数字を打ち間違えた。
資料の一行が抜けていた。
説明が足りなかった。
確認が一回足りなかった。
出来事は一点です。
でも心の中では、その一点が一気に広がる。
「やっぱり自分はダメだ」
「こういう人間だ」
「向いてない」
「信用されない」
「価値がない」
ミスそのものよりも、
自分という存在が否定された感じのほうが強く残る。
普段は冷静に仕事もできる。
周りからの評価もある。
ちゃんとしているつもりもある。
なのにこの場面だけ、急に全身が落ちる。
これは打たれ弱さではありません。
多くの場合、あなたが“ある一点”に立っているだけです。
固定点:「ミス=人格」
今回扱う固定点は、これです。
ミス=人格。
ミスした
→ 自分が悪い
→ 性格の問題
→ 能力の問題
→ 価値の問題
出来事が、そのまま“自分の証拠”になります。
この固定点に立っていると、
反省は“修正”ではなく“自罰”になります。
なぜそこに固定されるのか
この固定点は、突然生まれたものではありません。
叱られたとき、出来事より人格を責められた。
「なんでそんなこともできないの」
「いつもそうだよね」
「だからあなたは」
怒られた瞬間の恥や怖さは、強く残ります。
そして次に似た場面が来ると、
体が先に反応します。
指摘される
→ 恥がよみがえる
→ 人格に戻る
出来事よりも、
“怒られた記憶”が再生される。
だからミスが、ただのミスで終わらない。
吸い込みの仕組み:出来事が自己証明になる
この固定点が厄介なのは、
ミスが“証拠”になることです。
誤字をした
→ 注意された
→ 「雑な人間だ」
期限を落とした
→ 迷惑をかけた
→ 「だらしない人間だ」
説明が足りなかった
→ 誤解された
→ 「頭が悪い人間だ」
ここで起きているのは、短絡回路です。
ミス → 無能
指摘 → 嫌われた
失敗 → 価値がない
注意 → 終わり
出来事が、人格の判決に変わる。
だから修正が終わっても、心は終わらない。
謝っても終わらない。
対処しても終わらない。
評価が戻っても終わらない。
人格の否定が残るからです。
消耗の正体:手順ではなく人格を修理しようとする
ここで起きている消耗の正体は、これです。
改善の対象が、手順ではなく人格になっていること。
本来、多くのミスは工程の問題です。
チェックが一回足りなかった。
確認の順番がズレた。
共有のタイミングが遅れた。
例外処理がなかった。
前提が揃っていなかった。
出来事として見れば、修正できることが多い。
でも「ミス=人格」になると、
ちゃんとした人間にならなきゃ
ミスしない性格にならなきゃ
自分をもっと変えなきゃ
と、方向がずれます。
人格の修理は終わりません。
だから反省が長引きます。
だから自罰が増えます。
だから疲れます。
ずらし:ミスを出来事に戻す(人格から手順へ)
ここで必要なのは、
「気にしない」努力ではありません。
ポジティブになることでもありません。
立っている位置を、ほんの少しだけずらします。
ずらしはこれです。
ミスを出来事に戻す。
人格ではなく工程。
価値ではなく手順。
自分ではなくプロセス。
否定ではなく修正。
「私はダメ」ではなく、
「どの手順が抜けた?」へ戻す。
ここに一文だけ置いておきます。
ミスは人格の証拠ではなく、手順の出来事として扱える。
「出来事に戻す」とはどういうことか
出来事に戻すとは、感情を消すことではありません。
恥は残ります。
悔しさもあります。
落ち込みもあります。
でも、その感情の先を人格にしない。
たとえば、
「なぜ自分はこうなんだ」ではなく、
「どの工程で抜けた?」
「向いてない」ではなく、
「どの確認が足りなかった?」
「信用を失った」ではなく、
「どの説明を補えばいい?」
出来事として扱うと、
次の一手が見える。
人格として扱うと、
出口が見えない。
ずれた後に起きる変化
このずらしが起きても、
ミスがなくなるわけではありません。
落ち込まなくなるわけでもない。
でも、こういう変化が起きることがあります。
落ち込みが“人格全体”に広がりにくくなる。
謝罪と修正で一区切りがつく。
反省が“改善”に変わる。
同じ種類のミスを減らしやすくなる。
自罰の反芻が短くなる。
世界は劇的に変わりません。
でも消耗は減ります。
ここでやっているのは解決ではありません
ここでやっているのは、
ミスを肯定する話ではありません。
強くなる話でもありません。
完璧主義をやめる話でもありません。
固定されて消耗している一点から、
ほんの一歩ずれるための言語化です。
出来事が人格に広がる吸い込み口を特定するだけです。
まとめ
ミスをしたとき、必要以上に落ちるのは自然です。
あなたが弱いからではありません。
出来事が人格に広がってしまうからです。
ここに一文だけ置いておきます。
ミスは人格の証拠ではなく、手順の出来事として扱える。
今日はそれに気づくだけで十分です。
結論を急がなくても問題ありません。
