「間違えたら終わり」と感じてしまうときに起きていること
――終わりの正体を分ける
締切や公開の直前、急に怖くなる瞬間
締切が近い。
公開ボタンを押す直前。
上司の確認が入る。
クライアントに提出する。
人の目に触れる。
評価が下る。
その瞬間、頭の中が一つの言葉で埋まることがあります。
「間違えたら終わり」
それは大きな失敗の話ではありません。
誤字かもしれない。
数字のズレかもしれない。
表現のニュアンスかもしれない。
説明不足かもしれない。
小さなミスの可能性なのに、
なぜか感覚は「全崩壊」に近い。
普段は冷静に仕事ができる。
段取りも分かっている。
過去にも乗り越えてきた。
なのに、この局面だけ、急に怖くなる。
何度も読み返す。
直前で修正する。
送信ボタンを押せない。
あるいは、怖すぎて逆に雑になる。
これは能力の問題ではありません。
多くの場合、あなたが“ある一点”に立っているだけです。
固定点:「間違えたら終わり」
今回扱う固定点は、これです。
間違えたら終わり。
ここで言う「終わり」は、具体的ではありません。
信用が終わる。
成果が終わる。
関係が終わる。
評価が終わる。
居場所が終わる。
将来が終わる。
言葉にすると、いくつも混ざっています。
でも体感は一つです。
全部終わる感じ。
だから怖い。
なぜそこに固定されるのか
この固定点は、ただの思い込みではありません。
一度のミスで強く叱責された。
小さな失敗が人格否定に変わった。
「なんでできないの?」と言われた。
信用を失った経験がある。
取り返しのつかない空気になったことがある。
あるいは、
常に「ちゃんとできる人」でいることで評価されてきた。
ミスをしない人。
抜けがない人。
責任感がある人。
任せられる人。
そういう立場を維持することで、居場所が保たれてきた。
だからミスは、単なる出来事ではありません。
警報です。
「危険」
「価値が落ちる」
「全否定される」
「退場になる」
過去の経験が、締切や公開の前に一斉に立ち上がる。
それが「間違えたら終わり」という固定点です。
吸い込みの仕組み:終わりを一つにまとめる
この固定点が厄介なのは、
「終わり」を一つにまとめてしまうことです。
成果も、信用も、関係も、
全部が一体化する。
小さなミスが、
成果の揺れ
=信用の崩壊
=関係の破綻
=居場所の消滅
という一本道でつながる。
一本道は結論が速い。
速い結論ほど、恐怖は巨大になります。
本当は、
成果は修正できるかもしれない。
信用は積み重ねで回復するかもしれない。
関係は説明で修復できるかもしれない。
でも分けないまま「終わり」と呼ぶと、
すべてが同時に崩れる前提になります。
その前提に立つと、体は強く反応します。
確認が止まらなくなる。
完璧を求め続ける。
期限を超えるほど詰める。
あるいは逆に、
怖すぎて見ない。
思考が止まる。
投げる。
どちらも、怠慢ではありません。
恐怖の大きさに対する自然な反応です。
消耗の正体:終わりが曖昧なまま巨大化している
ここで起きている消耗の正体は、これです。
終わりが曖昧なまま、最大サイズになっていること。
「終わり」という言葉は強い。
でも、その中身は分解されていない。
信用が揺れるのか。
成果が揺れるのか。
関係が揺れるのか。
本当は、揺れ方も、回復の仕方も違います。
成果は、修正で戻ることが多い。
信用は、時間と継続で戻ることが多い。
関係は、対話で戻ることが多い。
三つは別物です。
でも「終わり」とひとまとめにすると、
脳は最悪を前提に動きます。
そして最悪を前提に動くほど、
エネルギーは大量に消費されます。
それが消耗の正体です。
ずらし:終わりの定義を分解する
ここで必要なのは、
「大丈夫」と言い聞かせることではありません。
ポジティブになることでもありません。
立っている位置を、ほんの少しだけずらします。
ずらしはこれです。
終わりの定義を分ける。
終わるのは何?
信用?
成果?
関係?
どれが揺れているのかを、先に分ける。
たとえば、
数字が一つ違っていた。
→ これは成果の問題かもしれない。
表現が足りなかった。
→ これは成果と説明の問題かもしれない。
上司に指摘された。
→ これは関係ではなく、成果の修正かもしれない。
分けるだけで、恐怖のサイズが変わります。
ここに一文だけ置いておきます。
終わるのは、信用?成果?関係?——どれが終わるのかを先に分ける。
分解は、安心するためではありません。
巨大化を止めるためです。
ずれた後に起きる変化
このずらしが起きても、
ミスがなくなるわけではありません。
完璧主義が消えるわけでもありません。
でも、こういう変化が起きることがあります。
「全部終わる」が、「ここが揺れている」に変わる。
確認が“無限ループ”になりにくくなる。
締切を守る判断がしやすくなる。
修正できる部分に集中できる。
恐怖が“扱えるサイズ”になる。
恐怖はゼロになりません。
でも、扱える大きさになると、
人は動けます。
ここでやっているのは解決ではありません
ここでやっているのは、
完璧主義をやめる話ではありません。
強くなる話でもありません。
ミスを肯定する話でもありません。
固定されて消耗している一点から、
ほんの一歩ずれるための言語化です。
「終わり」が巨大化している場所を特定する。
そして、それを分ける。
それだけです。
まとめ
締切や公開の前に怖くなるのは自然です。
あなたが弱いからではありません。
「終わり」を一つにまとめているからです。
ここに一文だけ置いておきます。
終わるのは、信用?成果?関係?——どれが終わるのかを先に分ける。
今日はそれに気づくだけで十分です。
結論を急がなくても問題ありません。
