「説明できないなら分かってない」と感じてしまうときに起きていること

理解が試験になる瞬間 質問された瞬間、急に体が固まる

上司の一言。

「で、根拠は?」

レビューで。

「それ、誰が困るの?」

会議で。

「なぜその案?」

面接で。

「その経験で何を学んだ?」

家庭でも。

「なんでそう思うの?」

ただの質問のはずなのに、
その瞬間、体が反応する。

呼吸が浅くなる。
早口になる。
逆に黙ってしまう。
目線が泳ぐ。
頭の中で正解を探し始める。
言い直しが増える。

言葉が出ない。

まとまらない。

順番が崩れる。

そして、心の中で結論が走る。

「分かってない」
「浅い」
「準備不足」
「無能だ」
「信用を失う」

本当は、何も失っていない。

でも体感は“終わり”に近い。

これは話し方の問題だけではありません。
多くの場合、あなたが“ある一点”に立っているだけです。

固定点:「説明できないなら分かってない」

今回扱う固定点は、これです。

説明できないなら分かってない。

この固定点に立つと、
理解は「言語化できる形」でしか認められません。

言葉にできる
=理解している

言葉にできない
=理解していない

この二択になります。

でも本当にそうでしょうか。

なぜそこに固定されるのか

説明できなかったときに責められた経験がある。

「分かってるなら言ってみて」
「説明できないってことは、分かってないよね」
「ちゃんと考えてきた?」

こうしたやり取りを重ねると、
質問は“確認”ではなく“試験”になります。

質問される
=評価される
=合格/不合格が決まる

だから体が固まる。

言葉が出ない瞬間が、
そのまま“無理解”の証明に感じられる。

吸い込みの仕組み:沈黙が人格に広がる

質問が来る。
一瞬、沈黙ができる。

その0.5秒の空白で、頭はこうつなげます。

沈黙
→理解不足
→準備不足
→能力不足
→信用失墜

一本道です。

一本道は結論が速い。

速い結論ほど、心は止まりません。

焦る。
焦るほど整理できない。
整理できないほど、さらに言葉が出ない。

そしてこうなる。

「やっぱり自分はダメだ」

出来事は“言語化の詰まり”なのに、
人格の否定まで広がる。

消耗の正体:理解を言語化に固定している

ここで起きている消耗の正体は、これです。

理解=言語化能力、という固定。

でも理解の形は一つではありません。

図なら描ける。
例なら出せる。
手順なら組める。
違いなら分かる。
選別ならできる。
直すならできる。

つまり、理解はある。

ただ、その場で整った文章に変換できないだけ。

理解は、頭の中で“塊”として存在していることが多い。

言語化は、その塊を分解し、順番に並べる作業です。

これは“後工程”になることがある。

それでも固定点に立つと、

言葉にならない
=存在しない

という扱いになります。

だから苦しい。

理解は言語化より先にある

考えてみると、

スポーツの動きは説明できなくてもできることがあります。

料理の味の違いは、
うまく言語化できなくても分かることがあります。

人の空気は、
説明できなくても察することがあります。

理解は、必ずしも言葉の形をしていない。

でも「説明できないなら分かってない」に立つと、
言葉だけが理解の証拠になります。

それが、試験化の正体です。

ずらし:分かってる≠説明できる

ここで必要なのは、
話術を磨くことではありません。

立っている位置を、ほんの少しだけずらします。

ずらしはこれです。

分かってる≠説明できる。

理解は、言語化より先に成立することがある。

ここに一文だけ置いておきます。

分かっていることと、説明できることは別です。

別案として、こうも言えます。

「説明できない=理解ゼロ、ではない。」

あるいは。

「言語化は“後工程”になることがある。」

この一文があるだけで、
沈黙の意味が変わります。

ずれた後に起きる変化

このずらしが起きても、
急に話がうまくなるわけではありません。

詰められなくなるわけでもありません。

でも、こういう変化が起きることがあります。

沈黙が「失敗」ではなく「整列中」に見える。
焦りが少し弱まる。
質問が“試験”ではなく“対話”に戻る。
言葉が出ない瞬間に、人格まで落ちなくなる。

世界は大きくは変わりません。

でも消耗は減ります。

なぜなら、
言語化できない瞬間が“全否定”にならなくなるからです。

ここでやっているのは解決ではありません

ここでやっているのは、
話し方講座ではありません。

ロジカルに話せる人になる方法でもありません。
詰められない技術でもありません。

固定されて消耗している一点から、
ほんの一歩ずれるための言語化です。

理解を言語化に固定している位置を、
少し横にずらすだけです。

まとめ

質問されると苦しくなるのは自然です。

あなたが弱いからではありません。

理解を“言語化できること”に固定しているからです。

ここに一文だけ置いておきます。

分かっていることと、説明できることは別です。

今日はそれに気づくだけで十分です。

結論を急がなくても問題ありません。

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