「私はこういう人間だ」が苦しさを固定するときに起きていること

普段は、そこまで問題なくやれている。
仕事も、人間関係も、致命的に崩れているわけではない。

けれど、ある瞬間だけ急に重くなることがある。

失敗したとき。
うまく言い返せなかったとき。
診断やタイプ分けを見たとき。
誰かに「そういうとこあるよね」と言われたとき。

そのあと、頭の中でひとつの文が立ち上がる。

「私はこういう人間だ」

今回扱う固定点は、この一文です。

これは自己理解の言葉に見えます。
自分を冷静に見ているようにも見える。
反省の延長にある、健全な整理のようにも見える。

でも、ある条件が揃うと、この一文は理解ではなく拘束になります。

性格の問題ではありません。
前向きさの不足でもありません。

多くの場合、立っている位置が固定されているだけです。

固定点:「私はこういう人間だ」

この言い方は、本来は役に立つ道具です。

失敗を振り返るとき。
傾向を知るとき。
他人に説明するとき。

「私はこういう傾向がある」と言えれば、
混乱は整理されます。
次の行動も選びやすくなる。

つまりこの言葉は、経験を圧縮するための便利なラベルです。

ただ、圧縮は便利な代わりに、いくつかの要素を削ります。
削られやすいのは「条件」と「時間」です。

・そのとき疲れていた
・相手との関係性が特殊だった
・初めての場面だった
・想定外が重なっていた

本来なら含まれているはずの文脈が消え、
残るのは「私はこういう人間だ」という恒常的な表現だけになる。

ここで固定が起きます。

吸い込み条件(トリガー)

この固定点が強く働くのは、いくつかの典型的な場面です。

1)反省したとき

反省は、本来出来事を扱う作業です。

何が起きたのか。
どこでズレたのか。
次にどうするか。

ところが、途中でこう飛びます。

出来事の分析
→ 私はこういう人間だ

出来事から人格へジャンプする。

このジャンプが起きると、反省は止まります。
なぜなら、出来事は修正できても、人格は簡単に修正できないからです。

「私はこういう人間だから」で終わると、
思考はそれ以上進まなくなる。

2)診断や分類に触れたとき

診断やタイプ分けは、とても分かりやすい。
当てはまると、安心します。

「そうか、だからか」と腑に落ちる。

この腑に落ちる感覚が強い人ほど、固定しやすい。

診断は本来「傾向の説明」です。
でも受け取り方によっては「本質の確定」になる。

「私はこのタイプ」
「だからこうなんだ」

説明が、そのまま境界線になることがあります。

3)他人のラベリング

他人の言葉は、短いぶん強い。

「真面目だよね」
「繊細だよね」
「頑固だよね」
「考えすぎるよね」

その場では笑って流せても、
あとから一人になったときに効いてくる。

「そうかもしれない」と受け取った瞬間、
そのラベルに沿って自分を再構築し始める。

そして少しでも逸れると、違和感を覚える。

ラベルが、自分を縛る枠になる。

ブラックホール化の仕組み

この固定点が厄介なのは、抜けようとすると強まるところです。

変わりたい。
もっと柔らかくなりたい。
失敗を減らしたい。

そう思った瞬間、こう返ってくる。

でも私はこういう人間だ。

そしてまた反省する。
また確定する。
また動けなくなる。

「自己理解」という形をしているので、
本人の中で正しさを帯びやすい。

だから疑いにくい。

ここで起きている消耗の正体は、これです。

いまの状態を、永遠の性質にしてしまうこと。

本来は「いま疲れている」だけかもしれない。
「この状況で緊張した」だけかもしれない。
「この人との関係で固くなった」だけかもしれない。

それが一文で固定される。

いまの反応
→ 私はこういう人間だ

いまの失敗
→ 私はこういう人間だ

いまの弱さ
→ 私はこういう人間だ

世界は変わっていないのに、
動ける範囲だけが狭くなっていきます。

ずらし(最小動作)

ここで必要なのは、自己肯定でも改善計画でもありません。

立っている位置を、ほんの少しだけずらすことです。

ずらし方はシンプルです。

「私は」を「いま」に限定する。

恒常(性格・本質)として言っている文を、
状態(いま・条件)に戻す。

頭の中でこう来たら、

「私はこういう人間だ」

それを否定しなくていい。
止めなくていい。

ただ、こう置いてみる。

「これは、いまの説明かもしれない」

ずらしの最小文

「私はこういう人」は、結論ではなく、いまの説明として置いていい。

この一文は、性格を否定しません。
診断を否定しません。
他人の言葉を否定しません。

ただ、時間軸を戻す。

恒常から状態へ。
本質から条件へ。

それだけで、拘束の強さが変わることがあります。

ずれた後に起きること

何かが劇的に変わるわけではありません。

でも、反省が出来事のレベルで止まれることがあります。
診断が参考情報に戻ることがあります。
ラベルが仮置きになることがあります。

「変われない」ではなく、
「条件を変えられるかもしれない」に戻る。

人格に判決を出さなくて済むだけで、
呼吸が少し深くなることがあります。

ここでやっているのは、内面を整える話ではありません。

「私はこういう人間だ」という一点に固定されて消耗しているとき、
そこからほんの一歩ずれるための言語化です。

もし今日、
「私はこういう人間だ」が頭に浮かんだら。

それを消さなくていい。
争わなくていい。

ただ一度だけ、

「これは、いまの説明かもしれない」

と置いてみてください。

今日は、それだけで十分です。

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