愛は、ときに人を信じられないほど強くする、サメに奪われた少年の腕を取り返した叔父

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サメに奪われた少年の腕を取り返した叔父

SNSを見ていたら、にわかには信じられない話が流れてきました。
「サメに腕を奪われた少年。叔父がサメを岸へ引き上げ、体内から腕を回収。長時間の手術で再接合」

最初に見たときは、

「いや、さすがにこれは作り話だろう」

と思いました。

サメに腕を噛み切られるだけでも映画のような話です。

さらに叔父がそのサメを捕まえ、少年の腕を取り戻し、その腕を医師が再びつなぐ。

あまりにも出来すぎています。

ところが調べてみると、驚いたことに、本当にあった出来事でした。

8歳の少年を襲ったサメ

事件が起きたのは2001年7月6日。

アメリカ・フロリダ州、ペンサコーラ近郊のGulf Islands National Seashoreでのことです。

当時8歳だったジェシー・アーボガスト少年は、家族と海で遊んでいました。

そこへ突然、約2メートルのオオメジロザメが現れます。

サメはジェシーに襲いかかり、右腕を噛み切りました。脚にも大きな傷を負いました。

ABC Newsによれば、叔父のヴァンス・フロゼンジアーは子どもの叫び声を聞き、海を見ると血が広がっていたと、後に振り返っています。

そして、サメがジェシーの腕に噛みつき、身体を回転させていたのを目撃します。

普通なら、恐怖で身体が動かなくなっても不思議ではありません。

しかし叔父は海へ飛び込みました。

そして、サメをつかんだのです。

叔父は素手でサメを岸へ引き上げた

叔父はジェシーを助けるだけでは終わりませんでした。

ABC Newsの後年のインタビューによると、叔父は素手でサメと格闘し、海から岸へ引き上げました。

約2メートルもあるオオメジロザメです。

なぜ、そんなことができたのでしょうか。

冷静に考えれば、非常に危険です。

自分まで襲われる可能性があります。

それでも、そのとき叔父の頭の中に「自分が危険かどうか」という計算がどれほどあったのでしょう。

目の前には、腕を失い、大量の血を流している8歳の甥がいます。

その腕は、サメに飲み込まれていました。

叔父はサメを岸へ引き上げます。

駆けつけたレンジャーがサメを撃ち、消防士が器具を使って喉からジェシーの腕を取り出しました。

CNNも当時、消防士がサメから切断された腕を取り出したことを報じています。

そして回収された腕は、ジェシーとともに病院へ運ばれました。

医師たちは、その腕をもう一度つないだ

ジェシーは極めて危険な状態でした。

病院へ搬送されたときには、ほとんど脈も血圧も確認できないほど大量の血を失っていました。

それでも医師たちは諦めませんでした。

回収された右腕を、少年の身体に再接合する手術が始まります。

報道によって手術時間には11時間、12時間と多少の違いがありますが、いずれにしても夜を徹した大手術でした。

そして、腕の再接合に成功しました。

もちろん、それですべて元通りになったわけではありません。

ジェシーは大量出血による深刻な状態に陥り、その後も長い治療を必要としました。

ですから、単純な「奇跡のハッピーエンド」として語るべき話ではないと思います。

それでも、一つだけ強烈に心に残るものがあります。

誰も諦めなかったことです。

愛とは、きれいな感情だけではないのかもしれません

この話を読んで、以前から考えていた「愛」について、少し違うことを思いました。

愛というと、

「相手の幸福を願うこと」

「相手を尊重すること」

「相手の自由を認めること」

そんな言葉で説明できます。

もちろん、それは大切です。

けれど、言葉だけで愛を考えていると、どうしても観念的になります。

この叔父の行動には、そんな難しい理屈はありません。

甥がサメに襲われた。

助けなければならない。

おそらく、その瞬間にはそれだけだったのではないでしょうか。

愛する人が目の前で危険な状態になったとき、人は普段なら絶対にできないようなことをすることがあります。

親が子どもを守ろうとする。

恋人が病気になれば、何時間でもそばにいる。

家族が絶望していれば、「まだ何かできないか」と方法を探す。

そこでは、損得の計算が一時的に消えてしまいます。

「自分を犠牲にすること」が愛なのではない

ただし、この話から、

「愛とは自分を犠牲にすることだ」

と結論づけるのも違うと思います。

いつでもサメに飛びかかるような生き方をする必要はありません。

以前の記事でも考えたように、自分を完全に犠牲にすることが愛とは限りません。

自分も一人の人間です。

自分の生命も、幸福も、大切にされなければなりません。

それでも人生には、ごくまれに、

「それでも、この人を助けたい」

という瞬間があります。

理屈ではなく、自分から何かを差し出したいと思う瞬間です。

誰かに要求された自己犠牲ではありません。

「愛しているなら、これくらいやって当然だ」

という強制でもありません。

自分自身が、

「この人のために、今、自分にできることをしたい」

と思う。

そこには、自己犠牲とは少し違うものがあるように思います。

愛は「諦めないこと」として現れることがある

この事件で叔父が行ったことを、単なる勇敢さと呼ぶこともできます。

しかし私は、そこに愛の一つの姿を感じます。

腕を失った。

普通なら、そこで「もうどうしようもない」と思います。

ところが叔父は、その腕を飲み込んだサメそのものを捕まえました。

消防士は腕を取り出しました。

医師たちは、その腕をもう一度つなごうとしました。

一人ではありません。

何人もの人が、

「まだできることがある」

と次の行動をしています。

結果を知っている私たちから見ると一本の物語に見えますが、その瞬間、その瞬間には成功する保証などなかったはずです。

それでも、次の人へ希望を渡していった。

私はそこが、この話で一番すごいところだと思います。

愛とはいつも優しく微笑むことではなく、

「まだ終わっていない」と、もう一度手を伸ばすこと

として現れる場合もあるのかもしれません。

SNSで偶然見かけた、嘘のような話でした。

調べてみたら、本当にあった話でした。

そして事実だと知ったあとに残ったのは、

「人間って、愛する人のためなら、こんなことまでできるのか」

という驚きでした。

愛について何千文字考えるより、サメを岸まで引っ張ってきた叔父さんの行動のほうが、愛の一面をずっと強烈に見せてくれている気がします。

参考・出典

ABC News, Young Shark Bite Victim Out of Hospital
ABC News, Uncle Speaks Out on Shark Rescue
CNN, 2001年7月9日の報道
Los Angeles Times / Associated Press, 2001年7月9日の報道
The Guardian, Saving Jesse’s arm(2001年7月12日)

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