太陽と審判のカードで読む社交辞令を真に受ける人が全部嘘と言えない未来

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美しい人の母親の無意識側(太陽のカードの無意識側)から美しい人は、

抜け出そうと必死にもがいていました。

美しい人の母親の無意識側から抜け出すことが、社会的にどのような

意味を持つことなのか、美しい人は自分なりに調べることで(ソードの

ペイジのカード)次第に理解していったと読んでいます。

私たちは、美しい人が美しい人が愛した国のために頑張ってくれた

ように見えることがあります。

美しい人が意識した様々なことの中に、そのようなことも含まれる

でしょうが、重要ポイントは、それは美しい人の母親の無意識側の

世界から美しい人が逃れて人並みの自由を得て人間らしい環境に

移動するために学んだことや調べたことによって得られた気付きであり、

言い方を変えれば、この太陽のカードの無意識側と顕在意識側が

統合されてしまえば、美しい人を消した側(捧げた側)は、さらに勢力を

拡大していくということでしょう。

これには、条件があります。

美しい人の母親の無意識側に直接顕在意識側を併せてしまうと、

美しい人の母親の無意識側の世界は、無くなってしまいます。

この記事タイトルの副題は、「自問自答せざるを得ない」ですが、

これは、太陽のカードの無意識側を境界線の外に追いやることで

成り立つアイデンティティーを守るための意識運動を意味します。

一般的には、自分自身の人格を維持するためですが、法人格にもそれは

ありますし、何らかの形で変更が必要な時は、慎重に新陳代謝を行います。

大雑把に行ってしまうと亡くなってしまったり、倒産してしまいます。

美しい人の母親の無意識側を顕在意識側に併せてしまうと美しい人を

捧げた側や美しい人を消した側の隠したい部分は、全て明るみになって

しまいますが、それでいて美しい人の母親の無意識側を完全に手放さずに

いる状態が太陽のカードの正位置です。

しかし正位置だから善いというわけでも正しいわけでもありません。

美しい人の母親の無意識側と美しい人が担ってきた美しい人の母親の

顕在意識がしっかりと繋がって太陽のカードが変質しても構わないのです。

変質した状態こそ本来は、次の審判のカードに続く状態であり、望んだものに

真っ直ぐに向かっていけるようになります。

しかし美しい人を捧げた側や美しい人を消した側は、無意識側と顕在意識を

繋ぎ合わせることは、絶対に出来ないのです。

それでは、審判のカードに進めない太陽のカードになります。

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しかし太陽のカードの無意識側が普通の感覚では、受け入れられないことで

あれば、顕在意識側のポジションによっては、社会通念上受け入れられない

ものもあります。

ましてや美しい人の母親の無意識側が選択したのようなルール、教えを

そのまま表社会(顕在意識側)に置くことは、不可能です。

しかし、それでは、いつまでたっても審判のカードに移れないので

美しい人が愛した国のルールを変更して、公然と法の下に美しい人に

行ったようなことが出来るようにするしかありません。

今は公開消滅ドラマで見たことを話せないかも知れませんが、話題に

しても問題にならずに週刊誌に乗る時代が来るかも知れません。

あくまでも、このまま美しい人の母親の無意識側と顕在意識側が

統合されればですが。

そんなことは、あり得ないと思われるかも知れませんが、過去には

踏み絵や非○民という言葉がありました。

生きて帰りたいとか、生きて帰って来いと言うだけで猛烈に殴られた

時代があったのです。

しかもそれを公が行っていました。

それが可能になった時に、美しい人を捧げた側や美しい人を消した側が

興味関心を持ったあらゆるものに自由にコミット出来るようになります。

そのようなことを積み重ねながら世界のカードに辿り着きます。

それは、「闇の中で呼吸するように上下運動している何か」が表社会に

君臨することであり、同時に社会が闇に包まれることです。

闇の中でしか生きられないものが表社会で顕在意識側を担うと言うことは

そういうことです。

太陽のカードから審判のカードに移行する時に太陽のカードが作り出す状態は、

本来、その存在にとって最も自然体でいるための状態を開くためです。

もう頭で考えた自分自身のイメージを守るために、境界線の外にそれ以外の

要素を排出する必要がない状態です。

「闇の中で呼吸するように上下運動している何か」が表社会の顕在意識側に

なると、光の中で生きる存在は、「闇の中で呼吸するように上下運動している

何か」の新陳代謝のために公然と境界線の外に追いやられていきます。

そこには、もう社交辞令は、まったく必要がありません。

「闇の中で呼吸するように上下運動している何か」にとっての本当の部分

だけで成り立つ世の中があります。

もう隠す必要が完全になくなります。

美しい人を消した側や美しい人を捧げた側が語ることが最初から、美しい人が

愛した国の中心で真実になるからです。

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