地球と言う牢獄と地球と言う天国

都市伝説みたいな発想ですが、地球はある種の

牢獄であるという考え方をする人たちがいます。

しかし、そのように考えると様々な国にまたがる

理不尽な状況が妙にすっきりと理解出来ます。

個人の間に横たわる不平等な状況もそうです。

だからこの世は大変なところであると言いたい

のではなく、何かしら希望を持って努力しないと

大変なことになるということです。

人によっては希望とは何かからのエスケープ

かも知れません。

地位の高い人たちが様々な富を独占出来ることも

日本で言えば一部の上級国民と言われる人たちが

法で裁かれないことも、何となく受け入れられれば

単に憤慨したり諦めるのではなく自分自身に

可能な幸運を求める動機にはならないでしょうか。

地球は牢獄であるという認識を持ってしまうと

一部の特権的な立場であるものが地球という牢獄を

拘置所の刑務官みたいなただ管理するだけの

仕事ですが、自分たちだけ豊かな取引をしたり

そのような立場を得ていると考えて過激な

思想や行動に駆り立てられるかも知れません。

しかし、それは完全に正しいとは言えません。

神話は納得し難い天変地異等に対して理由付け

するために作られたようなものもあります。

そのように考えないと受け入れられないことも

多々あったからです。

現代も相変わらず矛盾だらけです。

しかしそのことに対して無批判になれば知性は

働かなくなります。

かと言って批判ばかりしていてもどうにもなりません。

個人単位、個人視点で必要なものは、目を閉じずに

自分に相応しい幸運術を持つことかも知れません。

インターネットが普及したことによって

限られた範囲ではありますが、以前よりも個人の

可能性が広がったのではないでしょうか。

牢獄を快適にするのか、牢獄から逃走するのか、

発想は自由ですが、前向きに幸せを目指すための

一つの認識の仕方としては面白いかも知れません。

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