美しい人の不本意な最後と魔術師のカード

タロットカードを使って美しい人とスピリチュアルな

対話をした時に魔術師のカードが出て来た場合に

付いて書いています。

魔術師のカードの基本的な意味は、「新しいことを始める」

ですから美しい人がどのようなことを新しく始めたのか

関心を持って前後のカードを読めば良いことになります。

そう言った意味では、とても読み易いカードになります。

ただ一生常にチャレンジだったような美しい人にとっては

常にどこかに新しいことがあって、そのスピリチュアルな対話が

具体的に何を指示しているのかは、なかなか分からない

可能性があります。

しかしこの魔術師のカードには、重要な意味があります。

美しい人が新しい取り組みを始めたことや新しい場に

入ってことを示す魔術師の世界には、予め材料は指定

されていて美しい人自身が何かしら材料を持ち込むことは

出来ないルールになっています。

このようなルールは、タロット占いだけのことかと思われる

かも知れませんが、案外そうでもなくて、どんな人であっても

自分自身が新しく何かを始めるために開いた空間の中にある

材料を使っています。

そしてその材料をタロット占い的に言うと4元素(火、水、風、地)

なのですが、これらの元素がそれぞれに現実の中で必要なものに

変化しています。

そして何よりも重要なことは、魔術師が手に取ったこの四元素が

最終的に全てをやり切って、新しく始めたことが世界のカードまで

辿り着いた時に牛、獅子、鷲、天使になるということです。

単なる材料ではなく、新しく始めたことがちゃんと育って

美しい人を守ってくれたり讃えてくれたり豊かにしてくれたり

するような存在になっていきます。

もちろん最終的な世界を輝かせるエネルギーになるのは

美しい人の魂の力です。

つまりその時々の魔術師のカードだけを見ていると、ただ毎回

何かが始まっただけに思えるかも知れませんが、魔術師の

カードが出て来た場合、スピリチュアルな対話で最も重要

なことは、魔術師が手に取っている四元素が、どのような牛、

獅子、鷲、天使になっていくことを示唆しているかを読み

取ることです。

何故なら美しい人は、志半ばで不本意ながら亡くなりました。

美しい人のファンの方で美しい人が全てを手にして

満足されて亡くなったと思っている人は、いないでしょう。

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だとすれば最終的に美しい人の魂の周囲にいる牛、獅子、

鷲、天使の存在は、どんなものなのか読み手側が受け止める

ことになります。

美しい人が手に取った四元素がどんなものだったのか

前後のカードや受け取った印象を併せて世界のカードと

対になって受け止めなければスピリチュアルな対話を行う意味が

無くなってしまうくらい魔術師のカードが出て来た場合は、

注意を払う必要があります。

美しい人がこれからどんな俳優になっていくのか、どんな

活躍をされていくのか楽しみにしていた人は、大勢います。

それはもう無いのです。

何故美しい人とスピリチュアルな対話するのかと言えば

単なる感傷だけではなく美しい人が生きられるはずだった

思いを受け止めるためです。

ともすれば宗教的な意味合いが生まれそうな姿勢に思えるかも

知れませんが、個人が美しい人の死に関して不自然な部分を

感じて辿り着くはずだった美しい人の思いをそれぞれの月を

通して受け止める受け皿になるだけです。

ですからタロットカードを使って美しい人とスピリチュアルな

対話をすることについて書いていますが、別にこのような方法を

用いる必要はなく自分自身の個性の応じて美しい人の死に

ついて感じることを大切にしていければ意味することに変わりは

ありません。

美しい人の死を当然だと思えば、つまり美しい人の世界は

きちんと完成したと思えばこのようなスピリチュアルな対話を

試みる必要はないのです。

一言で言えば「無念」だからです。

無念の死は、鎮魂がなされなければあんまりではないでしょうか。

美しい人に限って誰かを祟るということはないはずですが、

そのような恨めしい存在になる場合もあります。

美しい人の死は、納得の死ではありません。

辿り着くべき場所に美しい人は、届きませんでしたが

その辿り着くはずだった場所の全て魔術師が手に取った四元素

の中にありますから、とても重要なメッセージを持ちます。

このような趣旨ですから何回もスピリチュアルな対話を

繰り返しながら、出て来たカードの意味を大切に積み重ねていく

必要があります。

スピリチュアルな対話は、1度や2度行っただけで「こんな感じ」

でしたと言うのは、私は信じません。

もし亡くなったのが親や祖父母や兄弟であれば毎日のように

仏壇に手を合わせるでしょう。

スピリチュアルな存在と向き合うとは、そういうことです。

以前幼くして亡くなった子供の50年忌を他の子供に託した

女性の話を書きました。

亡くなった子供がちゃんと天国に行けるようにそこまで

心配するのです。

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