美しい人の運命の輪は、相棒やkgと同じではない

タロットカードを使って美しい人とスピリチュアルな

対話をした時に隠者のカードが出て来た場合に

付いて書いています。

隠者のカードは、自分自身の根源的な望みを叶えることに

絞って追い求めていく姿勢を表しています。

そう言った意味では、美しい人らしいカードのように

思えますし、実際にそうだとも思いますが、休みがあれば

サーフィンだってされたでしょうし、事務所が過剰な

労働をさせなければ、もっと違う可能性を伸ばすことに

なったかも知れません。

誰も止めなければ農業の道に進まれたかも知れません。

人生に「IF」は、ありませんから美しい人は、表現者

としてストイックに自分自身を追及してきた姿勢を否定

するのではなく、隠者のカードを読む時に気持ちの中では、

どうだったのかとか、そのような気持ちが抑えられなくなる

ような時は、なかったのかという部分も感じないと

タロットカードを引く意味がなくなります。

月のカードは、具体的な内容の探求ですが、隠者のカードは、

精神的な価値の探求ですから、尚更です。

美しい人のアセンダントが射手座29、9度であることや

その他のホロスコープの要素を併せて考えると、かなり目的を

絞った人生になる前提で生まれて来た方のように思えます。

しかも美しい人は、自分自身の人気を鼻にかけるような

態度がまるでなかったような感じですから表現者として

本当に演技力の向上が根源的な欲求になっていた

のかも知れません。

それ以外に対して眼中になかったから地位や立場に惑わされずに

人間『美しい人の名前』として常にフラットな状態でいられた

のかも知れません。

何故このような美しい人の資質を繰り返し書くかと言うと

タロットカードを使う時に正義のカードと動機を区別する

必要があるからです。

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美しい人のファンの方ならご存知と思いますが美しい人の

努力のやり方は、本能的とまでは言わないまでもそれに

近い何かを感じさせる部分があります。

理性的に見えて衝動を抑えられない、目的が定まれば、

それに向かわずには、いられない要素があります。

ちょっとでも努力出来る隙間時間があれば、それを拾って

いくようなやり方であって時間がないから出来ないとか、

疲れたから今日は嫌だなとか考える暇や感じている様子が

なそうなくらい自然に行われています。

その全てを義務的に仕事のためと言われたら1年間でもこんな

生き方をすることは困難でしょう。

そう言った意味では、もう限りなく無意識に近いのかも知れません。

ただ一つだけ恐ろしいことを書くとこのようなタイプの人は、

自分自身が違和感を感じたことを無視出来ません。

美しい人のような素晴らしい人が謎を残したまま亡くなって

しまったのは、何かを知ってしまった可能性がとても高いのです。

知ってしまったと断言しても良いでしょう。

無視出来ない違和感に感覚が捕まると予定されていたものと

異なる「運命の輪」が開きます。

そこは闇だらけで行き止まりだったのではないでしょうか。

様々な「運命の輪」が無限にあちこちに開いています。

相棒やkgは、美しい人が目指していた「運命の輪」の世界の

人たちではなかったと読むことが出来ます。

言い方を変えれば自分自身と同じ「運命の輪」であるならば

事務所も相棒やkgも美しい人が亡くなったことに対して

もっと常識的なフォローがあるでしょう。

事情が分からない人間が外側に表れるものだけを見ても

美しい人を応援しているとは思えないのは、明らかです。

最後の楽曲や最後の主演映画の扱い方だけでなく故意に

を美しい人外し否定するような扱いが散見されます。

隠者のカードのリスクみたいな解説記事になってしまい

ましたが、一通り全ての解説記事を書いても何度でも

気が向けば書きますし、読んで下さる方が多ければ正位置、

逆位置や前後のカードの並びの記事も書くかも知れません。

美しい人とのスピリチュアルな対話ですから亡くなった後に

美しい人にとって正しい「運命の輪」(美しい人が生きるべき

世界)に辿り着いたのか気になるところです。

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