第12ハウスの月と冥王星のコンジャンクションと実際の母親のサインの関係

sponsored link

月と冥王星のコンジャンクションを短い言葉で

表せば、その本質は占星術的虐待です。

月という小さなキャパシティに対して、冥王星が

無理矢理に強制的なエネルギーを注ぎ込むわけ

ですから、基本的な安らぎは破られます。

第12ハウスの月と冥王星のコンジャンクション

には、第12ハウスという要素も含まれますから、

そうなると、その虐待的な働きがスピリチュアルな

部分に出ると考えられます。

この場合の残酷物語は、見えない世界から

母親なるものの攻撃を受けるということです。

宗教的な攻撃とも言えます。

実際の母親がそこまで、しなければ単に子供の

悪い評判を他人に流す程度です。

それとなく評判を落とすトークを想像すれば

現実的です。

宗教まで絡める母親であれば、宗教的コントロールを

子供に加えようとするパターンがあります。

宗教の指導者の力を持ってマインドコントロールを

しようとしたり、指導者に子供の嘘の実情を相談して

子供の評判を貶めたり、常人では想像することが

不可能と思えるような謎めいた加害行動を加えます。

ただ、このような虐待は、母親から離れてしまえば

第12ハウスの力は内面化したものだけで済みます。

しかしながら第12ハウスの本質には、自己犠牲が

ありますから、このようなアスペクトを

第12ハウスに持っている人が実際的な幸福に

なるのは困難です。

犠牲者タイプになってしまっているからです。

良く言えば、欲がないとも言えます。

他人を優先して考えてしまうのです。

悪く言えば自分がないということです。

客観的に見たら、自分のことでも他人事なのです。

あれこれと書いていますが、本題はここからです。

月と冥王星のコンジャンクションを持っている

本人ではなく、その母親のサインについて書きます。

sponsored link

例えば、実際の母親が蟹座や蟹座の天体の多い

蟹座タイプであれば、これに弱肉強食という

蟹座の恐ろしさが加わります。

母親の願いに叶った子供であるかどうかで

母親の態度は変化しますが、その母親の本質である

弱肉強食という過激な母親の資質が見えない

世界から襲ってくるのです。

蟹座ですから、見かけはマイルドです。

牡羊座のような雑な感じはないでしょう。

それでも他人の目が一切なければ、本音がぽろっと

出る瞬間はあります。

実際の母親のサインを考慮すれば、更に第12ハウスの

月と冥王星のコンジャンクションが加えてくる見えない

暴力性を検討し易くなります。

第12ハウスに潜む暴力性は分かり辛いので、いつまでも

人生を支配される傾向があります。

対処し難いのです。

可視化するためには、実際の母親をよくよく客観的に

観る必要がなります。

しかし、子供本人がその暴力性を見抜くのは

無理でしょう。

何度か書いたような気がしますが、第12ハウスの月は

隠れますし、実際の母親もどこか強さと同時に儚さが

あって、その実態を見抜ことは、育てられた

子供にとって無理でしょう。

母親に疑問を感じても、直ぐに忘れるか、何となく

煙に巻かれてお仕舞です。

もし、神様がいるとすれば、第12ハウスに

月と冥王星のコンジャンクションを持っている人に

期待していることは、母親を内面化して、その人柱に

なることでしょう。

その方が本人も楽です。

そのような影響を自分自身から抜こうとすれば、

自分自身を殺してしまいます。

決して幸福なことではありません。

内面の葛藤は自分よりも弱い犠牲に渡すしかない

のかも知れません。

心理的な葛藤は第12ハウスにバケツリレー式で

運ばれて処理されるのです。

闇へ闇へと葬られていきます。

その最終地点が月と冥王星のコンジャンクションを

持った人です。

個人的な救いを求めることは、その流れを

逆流させますから、嫉妬や憎悪と言った感情的な

汚物をどこかにぶちまけることになります。

そもそも、冥王星とコンジャンクションしなくても

第12ハウスの月は、自分がないことが取柄と言うか

それを長所として奉仕に生きた方が楽な月です。

茨の道ですが、もし個人を生きたいのであれば、

第12ハウスの月の脆弱性を補ってくれる本当の

パートナーが必要です。

しかし、これは大変難しく、第12ハウスの月の

脆弱性に接すると大抵の人は、逃げ出すでしょう。

パートナー選択の前にその脆弱性を保持したまま

動ける強さを自分自身が用意しないといけません。

これが難しいから第12ハウスの月は奉仕的に

生きた方が無難なのです。

そこに冥王星がコンジャンクションしてくると

普通の努力では何ともなりません。

実際の母親がどうのこうのと考える前に、本人の中で

脆弱性のやり繰りが付くのかが大問題で、母親を

見出してもあまり意味がないでしょう。

母親は、本当はどんな人だろうと考える余裕を

作ることはなかなか難しいということです。

sponsored link
error: Content is protected !!