弱者を更に苦しい境遇に捧げる人物のタロット占い

ある教育機関で働いている人物が、誰かに怪我を

させられたカードを読んでみました。

ある教育機関で働いている人物は、30年前は、

社会的に救われない葛藤を持つ若者たちの悩みを

真摯に様々な角度から考えていました。

不思議なくらい真面目に様々な角度から、まるで

思考実験のように考えていました。

しかし、ある教育機関で働いている人物は、結局は、

そのような存在は、救われないと結論を出したと

読みました。

それは、ある教育機関で働いている人物自身が、決して

根本的に救われることがないことと同じ意味を持つ

と読みました。

その結果、ある教育機関で働いている人物に、何が

起こったかと言うと、彼は、過去の自分自身と同じような

葛藤を背負っている若者を見つけると巧妙に、どこかに

差し出すことを覚えました。

そのどこかとは、過去の自分自身と同じ葛藤を持つ若者を

食い物にするところです。

ジゴクのような場所に差し出すのです。

ある教育機関で働いている人物は、自分自身は、救済される

ことはないと理解した時に、自分自身も差し出す側に回るべきだ

と理解したと読むことが出来ます。

何故、自分自身が差し出す側に回ることが救済になるのか?

この理由は、以下のようなものかも知れません。

葛藤を精神的に解決しようとするタイプを上昇するタイプと

決めてみます(下降するタイプでも構いません)。

葛藤を物質的に解決しようとするタイプを下降するタイプと

決めてみます(上昇するタイプでも構いません)。

物質は、精神の器であって、決して対立するものでは、

ないのですが、葛藤を他の存在に解決してもらおうと

する心理的態度の場合、あくまでも、どちらが自分自身の

葛藤状態を救済してくれるのか?と言うような分離して

「1」が生まれるソードのカードのような過程を歩む

のかも知れません。

物質的に救済されるべきだと考える場合は、それを得るために

犠牲になるに相応しい誰かを必要とするのでしょう。

それは、犠牲になる相応しいと判断された人の物質的側面

だけに注目し、精神的な側面は、ないように扱うという

ことになります。

誰かを「モノ」として扱うことで何故、救われるのかは、

不明ですが、苦しむ人や困っている人、悲しむ人を見て、

楽しそうに笑う人たちがいます。

ある教育機関で働いている人物は、自分自身の葛藤状態が

根本的に救済されることがないと結論を出した結果、犠牲を

差し出す側に回ることを正しいと結論付けたと読みました。

おまけ

精神的に解決することが正しいとも、物質的に解決することが

間違っているとも、このブログ的には、考えていません。

上手く、バランスを取ることで物心両面に渡って救われることが

大切だと考えます。

決して、どちらかを選択すべきという問題ではないと考えています。

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