美しい人のソードのペイジは、見落とし?それとも警戒?

美しい人のタロット占いのカードを読んでいると

ソードのカードの出現の印象が強く中でもソードの

ペイジは、かなり感じるものがあります。

イマジネーションを得る時は、瞑想の類は一切せずに

意識を泳がしたまま日常生活を送るだけです。

他に意識を向けていた方がすっと入って来ます。

ソードのペイジは、見習いレベルのペイジがソード

(情報や理屈)を扱いますから「見ているのに何か肝心な

ことに気が付かないこと」を示唆している可能性が

あります。

何を見落としてるポイントなのかは、人それぞれです。

ここに客観性があると思うと、それは思い込みになります。

客観性がないなら、思い込み捜査みたいになると思われる

かも知れませんが、対象となる思考の生理(感情や理念を含む)

を追いかけずに自分自身にとっての客観性にこだわると

いつまでも、求めていることの周囲をぐるぐると

回ることになります。

究極の客観性は、主観と主観の対決なのかも知れません。

何故、ソードのペイジがそのような状態に陥るのかと言えば

風の元素なのにまるで魚座のサビアン度数1度のような

状態で情報が無秩序な状態に並んでいる世界に降り立つ

からかも知れません。

実際はソードのペイジは、基準が曖昧なままで情報を収集と

言うか首を突っ込むからそうなります。

ソードの人物カードの中で、最も判断力がないとも言えます。

そのような状態で情報の取捨選択を行いながら前に進んでいく

必要があります。

一生懸命アンテナを張ってもペイジですから何かを見落として

しまうということになってしまいます。

上にナイトやクイーン、キングがいて、彼らがコントロール

している情報にアクセスすることが出来ないからです。

美しい人の時間の使い方から考えるとペイジの人物像が表すような

何でもかんでも目にした情報を手に取るような扱い方をするとは、

思えません。

一貫して必要な情報だけを収集していたはずです。

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少なくとも美しい人にとって意味のある情報です。

だとするとそれはペイジの姿勢ではありません。

少なくとも美しい人は、ソードのナイトに近い状態だったはずです。

動き回る立場ですからソードのクイーンでもソードのキング

でもないと思うのです。

美しい人が思うところに狙った影響を与えたい場合、

ペイジ、ナイト、クイーン、キングの間に何センチかずつ

差があって、それぞれが対象に対しててこの原理で力を

加えた場合、ペイジよりもナイトの方が外側に美しい人は、

存在して強い力を加えることになります。

美しい人がペイジにしろナイトにしろ、一応ナイトで

あってもクイーンまでしか意識出来ません。

だから最も強い力を使ってソード(情報や理屈、理論)に

力を加えるソードのキングは、見えない、だから表れない

ということかも知れません。

美しい人にとってソードのキングは、何かしら当てにしていた

人物かも知れません。

最終的に守ってもらえる期待があったのかも知れません。

ソードのナイトの頑張りは、後ろ盾がいなければ成功に

結び付かないものです。

ソードのクイーンが後ろ盾になってくれても良いのですが、

美しい人に厳しい場合が多い気がします。

このような流れで考えると様々な情報の影響を受けることで

美しい人は、真実が分からなくなったのかも知れません。

そう言った意味で重要な場面でソードのペイジの出現する割合が

高いのかも知れません。

別の結論をもう一つ書くと、美しい人ひたすら注意深く用心

していたとも言えると思います。

そもそも美しい人は、見落としてなんかいない場合もあります。

常に警戒していたという意味で読むと文脈がより繋がることが

多くなるかも知れません。

特に最後の2年間や盗聴盗撮に気付いた辺りからは、警戒を

意味するソードのペイジのカードでしょう。

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