男性と女性が分かり合うのが難しいのは、
男性を太陽、女性を月と位置付けるからです。
恋愛の相性は、火星と金星で考えますが、
これは同じライン上に並んだ天体ですから、
普通の恋愛であれば、男性も女性も
対等な意識で向き合うことになります。
お互い受け入れてもらえるのか不安であったり
傷付くことを恐れたりしながらも、
そのようなことを乗り越えところで、
交際を重ねていくのです。
やがて関係が長期化していくと
太陽と月という関係性に置き変わっていきます。
現代は、この関係の男女の逆転は起こり易い
環境ですから、太陽的役割、月的役割と
捉えても良いかも知れません。
ご存知の通り月は、地球の周りを動く
ただ一つの存在です。
地球は、他の天体と同じラインに並んでいますから
太陽と月の意識には、断絶があるのです。
月が他の天体と異なるレベルで存在している
ということです。
存在するラインが異なるのです。
簡単に言えば、太陽の意識は客観的な理性です。
ここから生まれる言葉は、月からすると
理性的で冷たく感じられます。
相対的に月は感情や体に近い存在なので、
どうしても主観的になり易く、客観的な言葉では
上手く意思の疎通が図れません。
月と太陽のコミュニケーションは、土台が
異なるのです。
太陽と月のこのような性質は、共に公的な
顔が重要な場合や、役割分担の違いで
お互いの感じ方は異なりますが、
まずこれが、そもそものすれ違いです。
お互いが太陽意識をメインにおいて
付き合うと、言葉に出来ない微妙なものの
やりとりは出来ません。
太陽サインの相性だけでは、他の誰かでも
良いというか、公共性が高過ぎて
割と置き替えが利くのです。
これが二つ目のすれ違いです。
前近代的な男女間ならともかくも、お互いが
ある程度、太陽意識を育てる教育システム、
社会経験、その他にも太陽意識を
伸ばしていく様々な手段が自由に選べる現代では、
男女関係を太陽サインと月サインできっちりと
分けても、そのような役割にはまり過ぎると
まるで誰かの作ったドラマのようになってしまいます。
公平な太陽意識を育むという意味では
男性は、能力くらいしか手段を持てませんが、
女性は子供を産むという視点も持つことが
出来ますから、客観性においても、
男性は女性よりも劣ります。
客観性は、より多くの主観を材料にして
作られた方が優れています。
見落としが少なくなるのです。
男女問わずに能力を土台にする太陽意識だけであれば
様々な限界を抱える人間は、消耗品になってしまいます。
このような潜在的な危機を回避するのが月です。
何の条件を満たさなくても、感じたものを
持ち寄って、理由もなく一緒にいられるのは
月の力です。
言葉は、感じたものを土台にして紡がれます。
政治やビジネスの理屈の背後にあるものは
力関係ですが、プライベートな二人の間に
愛がなければ無意味ですし、愛の言葉を
支える感受性を月が支えているとなると
月の相性はとても大切です。
太陽サインが作り出す意識は、意識としては
純粋ですが、表面上は、処世術として
姿形を幾らでも変えます。
それは適応力として評価されるものです。
変われない月は、その影に隠れてついていくのです。
結婚という公共性の影に、二人の月が暮らすと
考えるのが現代的な解釈ではないでしょうか。
月を軽視した関係性が結婚制度を利用すると
ただ自分が楽しむため、何かを達成するエゴのため
生活のためという理屈に支配されてしまいます。
同じことが二人の間に起こっても、月の相性が
良ければ気持ちで共感出来るので、楽しみは
2倍に、大変なことは2分の1にすることが出来ます。