観念的なボディー(愛はあると伝えたい・あやかし)

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「愛はある」と伝えたいというカテゴリーに入れている

記事で頻繁に使う造語である観念的なボディー

という術語の説明記事です。

ある程度、数が出来たら固定ページを創ります。

呪いの外し方(自分自身を守る方法でもあります。)

という記事に

「ちゃんと使える占いには、世界観と言うものがあります。

言い方を変えればその世界観を通してしか占えないとも

言えますが、読み手が存在することと占い自体の世界観が

更新され続く限り、それは生き物であり単なるルールとは

異なります。

占いは、この生きもの動きを感じるとも言えます。

これが現象化するかどうかは、また別次元の問題ですが

動いています。

この世の生き物の定義が実際に何らかのボディを持つことで

あるならば、まだ世界観の中だけで生きているものは、

観念的な存在ということになります。

呪いが疑心暗鬼にとらわれることでかかってしまうものであれば

観念的な生き物でも十分に戦えますし、必要なものを

探し出してくれます。

それでも観念的なボディーが生きている人の身体に繋がっている

以上、呪いは観念的なボディの動きを止めます。

身体とスピリチュアル部分を繋ぐ通路を移動出来なくなるのです。

実際の身体が動く動かないではありません。」

と書きました。

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この観念的なボディーは、タロット占いの月のカードのザリガニ

みたいなものです。

本人自身が自分自身であるために、もっと言えば自己の同一性を

守るために、生物学的に死なずに生きていくために深い闇に

追いやった存在です。

この観念的なボディーは、ある時期になると適切なスペースを

創って祀ってあげないと悪い意味で妖怪化してしまいます。

そうは、言ってもそのままポーンと目の前に表れたら地上的な

意味で本当に死亡してしまいます。

だからこそ暗い沼のような池の中に潜むザリガニなのです。

人の前に現れる時は、妖怪(あやかし)です。

しかし妖怪(あやかし)は、イマジネーション上の産物です。

しかも基本的に本人自身にしか知覚出来ない存在です。

五感のいずれかで存在を感じるような危うい存在です。

そうは言ってもドッペルゲンガーのようにはっきり見えれば

命を落としてしまう存在ですから明確に現れてもらっても

困るわけです。

ですから妖怪(あやかし)なのです。

あやかしが持つのは、観念的なボディーです。

あやかしは、観念的なボディーしか持ちませんが、

ちゃんとスペースを創ってあげて祀れば味方になってくれます。

時には、神の使いのような働きをしてくれます。

あやかしと表現していますが、最終的に世界のカードで

自分自身が守り育てて来た自我と合一すべき存在です。

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