「今の美しい人のソードのクイーン(光)」へ表現形式について

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これからの表現形式に付いて書いています。

美しい人のタロット占いの新しいスタート

という新たなスタート地点に立つことにするという

記事を書き

美しい人と「○谷56」についてのタロット占い

「○谷56の相棒」と美しい人の不幸の始まりの小さな種

という記事を書きましたが、彼らに好意的な人の立場を

考慮すると頂けない記事と解釈されても仕方がありません。

今日はそれに気づかされる体験をしました。

「コインのキングの逆位置」と「コインのクイーンの正位置」

に関して書くことは、どうしてもある程度対象を特定した

書き方になります。

今日、私が気付きを得た体験は、完全に誤解によるものですが

こちらの脇の甘さもありました。

これはどういうことだろうと考えた時に新しいテーマの扱い方に

ついて破れが多いということだと感じました。

情報収集能力以前にイマジネーションの妨げになるので

そもそも何かを調べて具体的に考えることは嫌いなのですが

ある程度対象を明確にするために自分自身でも調べないと

いけないのかと考えていた矢先の出来事でした。

しかしそのようなことをしたらイマジネーションでも霊感でもなく

事実に縛られてしまうでしょう。

そしてその事実として考える対象は、本当に事実かどうか

確認出来ない情報です。

これはネガティブでもポジティブでもなく「ソード」の本質です。

だから「ソード」には、分離の意味があります。

どんどん離れていくことで真のソードに辿り付きます。

それは取捨選択の果てしない連続です。

しかし玉ねぎの皮むきと異なるところは、「ソード」には必ず

何らかの判断基準があります。

情報の精度を上げるための作業なのです。

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このような作業は、果てしない分離の組み立ての繰り返しです。

より正しい判断基準がなければ簡単に作業は、行き詰まります。

ソードのクイーンは、判断(ソード)と受容(クイーン)を同時に

行うことが出来る素晴らしい在り方ですがそれは本来矛盾しています。

判断するためには、離すべきなのに感じ取る必要もあります。

このフラストレーションは、けっこうなものです。

しかしだからこそサイコパスの動きが分かります。

光か闇かは、どこまでフラストレーションに負けずに正しい道を

歩いていけるかの違いです。

受容しながら判断すればキングに支配されます。

それはクイーンを弱くします。

「今の美しい人のソードのクイーン(光)」の能力を10分の1

くらいにしてしまいます。

それは酷いと思うかも知れませんがクイーンと言っても

そもそもは、「ソード」なのです。

こちらが働きのメインです。

クイーンは体質みたいなものです。

この体質は、カードが好きな人、分かる人が多い傾向があります。

私自身にネーミングのセンスがないのが問題かも知れませんが

ネーミングでは誰が見ても分かるでしょうし、そのように

取られても仕方がないところがあります。

だからと言ってここまで何百回も積み重ねて来た上での結論は

変わりませんから、このまま新しいスタート地点に留まります。

問題はどうやって「今の美しい人のソードのクイーン(光)」へ

伝えるかです。

そもそも「今の美しい人のソードのクイーン(光)」だけに

絞っているのは、クイーン体質だからであり、長期間の問題の

軸はサイコパスにあるからです。

なので全てをタロットカードで書きます。

これならばどこをどう突いてもタロット占いです。

これまでのキャラクターは、このまま掘り下げます。

周辺の友人関係や有名人と魔術師の逆位置を正位置に変える

仕掛けを作った勢力は、全く別物であり彼ら同士が仲違いして

リークしない限り無理なのです。

では何のために?

美しい人の評価や扱いを変えていくことが先ず第一にあります。

そのためには少しずつ真実が明らかになる必要があります。

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