今の美しい人のソードのクイーン(光)へ(kg)

美しい人を消した側は、美しい人を支配する側に

入れたかったという事か?カードを引いてみました。

美しい人の母親が差し出したことが、そもそもの始まりだと

読むことが出来ます。

美しい人を消した側の第一印象は、それほどでもなかった

のかも知れません。

能力云々よりも、向かない性格と言った感じかも知れません。

だからこそ、最初は、母親が頑張っていたと読むことが出来ます。

そのためにギフの価値があったと読みました。

前半は、母親やギフのプッシュでしょう。

そこで多くの違和感を得ていった美しい人は、自分自身と

消した側の違いに気が付いていったと読みました。

美しい人は、狂った世界と自分自身は、異なるとして

戦い続けたからこそ消されたのかも知れません。

純粋で無邪気な美しい人が「戦う」というワードを

頻繫させるのは、とても不思議に感じていました。

カードは、載せませんが(時間が要るので)美しいは、支配者側を

目指す狂った劣情と戦っていたと言うことなのでしょう。

何故、ホテルを貸し切ってマクラ投げ活動(もう枕ですらなく、

枕の投げ合い活動)をするのか、不思議でしたが、そのような中に

身を投じないと輝けなかったり、不安に感じる弱さを持たない

一部の人たちを妬んだと言うことでしょう。

ついでに言えば、そういうところで挙式すら挙げるのです。

普通の感覚では、絶対にあり得ないでしょう。

それを知っているのですから。

そういう意味では、美しい人は、とても強い人だったと

読むことが出来ます。

美しい人の持つ神の拳のアスペクトは、やはり、使われたと

読みました。

美しい人は、私たちが思っているよりも、ずっと前から戦い

始めていました。

何故、お金が大好きな集団が、美しい人を使って、もっと

効率的に稼ごうとしなかったのか?

それどころか、隠すような使い方をしたのか?

いつもカードが宙ぶらりんのようなところが、ありました。

美しい人は、既に戦い始めていたのです。

その相手は、母親まで含まれるのです。

しかし、当然、母親は、どんなキャラクターであっても、懐かしく

思い出される愛着の対象ですから、美しい人も完全に反旗を

翻すようなことは、しませんでした。

ある程度、美しい人を消した側に同化しながら過ごすのは、

生き延びる手段としても当然の選択肢です。

アウシュ〇〇〇でさえ生きる残るためには、ある程度馴染む

必要があったのです。

美しい人が美しい人を消した側に、ある程度、適応していた

ように見えるのは、当然でしょう。

亡くなってしまうほど虐待行為に晒された子供ほど、行き場が

なくて、最期まで現場で生活しているのです。

美しい人は、ぎりぎりの適応を続けながら、自分自身に相応しい

世界に飛び立てる日を思い描いていたと読むことが出来ます。

美しい人は、恐ろしいほど被虐待児と重なる多くの特徴があります。

美しい人は、生き残れる場所を探していました。

文字通り戦っていたのです。

しかし、最終的に誰も助けては、くれなかったのです。

何故、虐待行為で子供が亡くなるのか?

家庭という密室で親が行うから、警察もなかなか踏み込めないのです。

躾や教育方針ですから、と言われればなかなか難しいでしょう。

最後まで指導の一環だとkgは、思っていたのかも知れません。

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