美しい人の味方と敵の違いの読み方(審判のカード)

審判のカードは、マルセイユ版でもウエイト版でも天使が

ラッパを吹いています。

ちょっと難しい表現かも知れませんが、審判のカードが

出て来た時に美しい人がラッパなのか、ラッパの音色を

聞いて墓場から蘇った人なのかで違ってきます。

審判のカードの作用は、偶然に振り回されない影響力

表しますが、美しい人自身の意識は、ラッパそのもの

だったはずです(これは、圧倒的なパワーという意味ではなく、

ネガティブでもポジティブもない作用を用いることで得られる

達成力になります)。

美しい人自身がラッパを吹くことで誰か勇気づけられたり

元気になってもらえたら嬉しいという愛他的な姿勢も、あった

かも知れません。

その作用を受けて多くの人の何らかの心が日々蘇っていたはずです。

それは、意図的に眠らされていた美しい人が愛した国の人々の

主体的なものだと読むことが出来ます(別カードセット)。

美しい人の月の獅子座の度数は、まさにそのようなものです。

アセンダント射手座の度数も広めていくような姿勢です。

太陽の牡羊座は、そのためにインスピレーションを受け取り

続けて前に進めるだけ進むような度数になります。

審判のカードは、ラッパを吹く側なのか、蘇る側なのかで

文脈は、変わります。

美しい人は、より自分自身の存在を高めていくことに

生き甲斐を感じるホロスコープです。

結果的にその生き方が一人でも多くの人に良い形で届けば

言うことは、無いというか、ただその輝き方の部分に

第10ハウスのリリスも加わっていました。

それの良い部分は、仕事熱心さです。

それが何故狙われるのか分からないと思われるかも知れませんが、

アセンダント(第1ハウス)とリリスがコンジャンクションすると

色気が目立ってストーカーされる場合もあります。

ほとんどの人は、個性的な色気を評価するだけですが僅かながら

しつこくつきまとう人間も引き付けてしまうことがあります。

美しい人は、第10ハウスですから、仕事絡み、社会的な立場で

因縁が絡み易い傾向があります。

リリスは、何かしら一部の人間のマイナス感情を誘発します。

このような部分も含めて美しい人が評価される時に審判のカードが

表れます。

美しい人とスピリチュアルな対話をする時の美しい人の精神的な

立ち位置は、ラッパを吹く側です。

美しい人に対してラッパを吹く側に回る人間を簡単に言えば、

美しい人にとって、多くは、味方ではありません。

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占いなのだから美しい人が評価されるかどうかは所詮、

占いの結果に過ぎないと思われるかも知れませんが、これには

美しい人の第10ハウスのリリスに関係があります。

このような配置の場合は、美しい人の人間性に対して

評価出来るタイプの人しか美しい人の味方と言うか、

少なくとも美しい人を肯定的に捉える側に立てないのです。

どんなに美しい人が素晴らしくあろうとしても、第10ハウスに

リリスがあると否定する人は基本的にかなり強く否定します。

美しい人は、懸命に努力することで、偶然さえも味方に

つけ、他者の評価を得ながら様々な夢を叶えていけると

信じているタイプの人だったとも言えます。

これは、ここで詳しくは書きませんが、決して自信家

という意味ではありません。

素直な探求心から生まれる確信みたいなものです。

しかし美しい人の第10ハウスのリリス(清い部分・常に

因縁もあります)を否定的に捉える人間にとっては、ラッパを

吹く側の意識を強く持つ美しい人の在り方を肯定出来ないのです。

このような読み方を前提に審判のカードの正位置について

解説すると、

「美しい人本人が主体的に取り組んでいる目標や夢、携わっている

仕事であれば良いカードです。

しかしこれまでの流れを考えると、美しい人の気持ちとしては、

自分自身の手に負えることではなく神のみぞ知るという気分

だったしょう。」といニュアンスになります。

美しい人がどんなにラッパを吹いても、なかなか良い運命が

開かないのです。

これが、そもそも開かないものであれば、美しい人も何も

思いませんし、願いが叶わなくても残念だったとか、何となく

悔しいなくらいで済むのですが、多くの場合は、美しい人の審判の

カードの正位置は、開くべきはずのものが開かないことの

戸惑いです。

「」の審判の正位置を引いたのは、2020年の9月24日でした。

この時は、最後の主演映画が何らかの理由で公開出来そうになかった

ことも、まだ知りませんでした。

ただ開くべきもの(正位置)が何故か現実は開かないというだけで

これは美しい人も戸惑うしかないという感じ方だけです。

もちろん他にも美しい人にとっては、常識的にOKなはずなことが、

ことごとく否定される状況だったと思います。

こういう場合は、とにかく待つしかありません。

待って活路を見出すのです。

しかし待つことすら許さなかった存在がいるのです。

これでは暴力を生業にする人たちが徹底的に相手を負い込んで

望む状況を作り出しているのとまったく同じです。

物質的な暴力、言葉の暴力と色々ありますがそれらが

美しい人を否定する側の審判のカードのラッパです。

美しい人とスピリチュアルな対話をする時は、このように

2種類のラッパがあります。

そうでなければ成り立たない対話を拾うと思います。

最後の事件以外の美しい人の審判のカードに関しては、

すでに美しい人の空間の中には既に叶うはずだった様々な願いが

浮かんでいましたから、因縁が無ければ、美しい人は、そられに

向かって、ただ真っ直ぐに努力して近づいていくだけで良かった

はずなのです。

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