神様は、何故、三浦春馬さんを守らなかったのか?

何故、三浦春馬さんが、30歳で亡くなってしまわないと

いけなかったのか?

この世に神様は、いないのか?みたいな視点で、どうしても

考えたくなってしまいますが、このことを少しだけカードを

通して読んでみたので書いています。

三浦春馬さんが、より三浦春馬さんらしくなろうとして

努力されていたことは、周知の事実です。

そのような衝動(隠者のカード)は、三浦春馬さんにとって、

根源的な欲求であって、ひまわりの種からは、ひまわりが

育つように、三浦春馬さんは、三浦春馬さんになります。

カード的には、三浦春馬さんにとっての女教皇のカードが、

現実の三浦春馬さんの種みたいなものになります。

どこかに三浦春馬さんの完全な情報(女教皇の霊的な情報

・これまでの過去世を含む)みたいなものがあって、

この世の三浦春馬さんは、その途方もない情報の中から、

環境や能力の制限を受けながら具体化出来るものに取り

組んでいきます。

一遍に四元素を同時に取り組む機会は、意識的に努力する

ほど、なかなかありませんから、少しずつ様々なことに

取り組まれていたと思います。

それらの組み合わせを全て書くことは、出来ませんが、もし

三浦春馬さんの置かれた環境の中でそれを行い続けるので

あれば、何となく全体がまとまって来るまで40代半ば辺り

まで時間が必要だったかも知れません。

三浦春馬さんは、誰にも邪魔されずに自分自身で、あり続け

たいと普通の人よりも強く願うタイプの人だったと読んでいます。

そういう意味では、出来るだけ余計なことは、したくなかった

と読むことが出来ます。

時間が惜しいのです(女教皇のカードは、時間に振り回されない

審判のカードと表裏一体とも言えます)。

そのような流れを無理矢理に破壊した人たちがいたのでしょう。

最初は、様々な邪魔を積極的に行うだけだったかも知れませんが、

三浦春馬さんのように自分自身のイメージを感じ易いタイプの人

に対しては、それは、女教皇を破壊させることに他なりません。

神様の意思を忠実に現実に再現したいと望む時に、又はそのような

願いを持つタイプの人にとって、忙しさや、その意思から遠い

ものへの取り組みは、神様の守護(守備範囲)から遠ざかります。

神様は、現実の中では、万能では、ありません。

何故なら、現実の中では、影みたいなものも実体があるからです。

三浦春馬さんは、そのような影は、偽りだと直感的に理解するタイプ

の人だったと読むことが出来ます。

そのような意味では、三浦春馬さんの霊的な本質を影が破壊する

ことは、不可能だと神様は、思っていたのかも知れません。

この世の中が、そのような本質も影も同じ次元で存在している

環境だと理解するしか、三浦春馬さんが守られなかった意味を

ことは、受け入れることは、出来ないのが現状になります。

だとすれば、神様は、三浦春馬さんを元の世界に引き戻してしまった

と読むことになります。

今の三浦春馬さんのソードのクイーン(光)へ

悪い人が栄え長生きすることの理不尽な世界がある以上、「2→

14(5)」の様々な小アルカナの組み合わせは、このように理解するに

留まっています。

sponsored link
error: Content is protected !!