真の愛の出会いについて

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月と冥王星のコンジャンクションをカテゴリーの

トップに置いているのは、月という最終的に

様々なものを受け取る器と未知のエネルギーの

組み合わせが、ある面ではもっとも過酷だからです。

このような組み合わせのハードアスペクトは、

出来れば持たない方が愛を感じ易くなります。

金星と海王星のスクエアとかでも愛を求めて

彷徨うこともあります。

月の愛と金星の愛は異なりますが、愛が分かり難く

なるのは一緒です。

それは愛が分からないのではなく自分自身の好きが

わからなくなるからです。

愛を感じるのは、そんなに難しいことではありません。

自分自身が何が好きで何が嫌いかがきちんと

分かってくれば次第に愛は確かなものになります。

愛はお互いだけでなく全ての存在の個性が同時に

成り立つ世界の分有であり私たちは、その一部です。

ですから両親からの影響を込みで考えると同じ

ホロスコープ(同じ愛)はありません。

まったく同じホロスコープでも両親を初め周囲から

注がれる愛は異なります。

これは好みの愛がそれぞれ違っていることの

そもそもの始まりを示します。

しかし愛が分かり難くなると愛の中から自分自身を

消してしまいます。

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その究極は、ただ耐えるだけの愛です。

このような愛には中身が育ちません。

自分自身が消えているからです。

飾らずにありのままの自分自身でいられなければ

愛はなかなか育ちません。

個人は愛を分有しているだけの存在ですから

好きや嫌いが明確であった方が愛が育ち易いのです。

しかしこのことは他の人も同じです。

全ての人に同じ条件を認めればこのような愛に対する

スタンスは決して自己中心的なものではありません。

特定の誰かが神のような愛を担うのは、

担わされるのは自己犠牲を強いられているだけです。

健全な個人が持つ愛のキャパシティーを越えています。

本当の愛は、万能な愛の正反対にあります。

個人の好き嫌いの延長にあります。

それらの洗練された姿とも言えます。

個人の好き嫌いが第1ハウスから第12ハウスの過程を

経ることでエッセンスになったものとも言えます。

第7ハウスの時点で他人の好き嫌い(つまり個性)を

認めますし第8ハウスでは、自分自身の好き嫌いを

徹底的に認めます。

第12ハウスでは自分自身の好き嫌いに捉われません。

このようなループを繰り返しています。

何を好きか嫌いかは、第1ハウスの本能が決めています。

それは自分自身が分有する愛の量です。

それぞれの人が愛に責任を持つことで愛は完全な姿になります。

一人で全てを背負おうとすると自分自身の愛すら

責任が持てなくなります。

その結果騙されたり報われなかったりします。

ホロスコープを通して愛を探すことが出来るのは

真実の愛は神のような万能の愛ではないからです。

自分自身の愛をしっかりと感じることと愛し合うことは

また違います。

お互い異なる愛を持っているわけですからお互いの愛を

尊重出来る関係性を持つ必要があります。

この関係性の部分と愛を実感することを混同すると

愛が分からなくなります。

良い愛の関係性を持つには可能な限り自分自身の愛が

鮮明に表現される必要があります。

そうなることで本当の関係性に出会えます。

このようなバランスは、月の愛と金星の愛を

比べてみると分かり易いかも知れません。

太陽や木星の愛もありますし、細かいことを言えば

全ての天体や感受点は個人の愛を分有していますから

どれか一つだけを見れば分かるものではありませんが

一般的なバランスはその辺りに表れます。

自分自身を表現することが愛です。

それを受け取ってもらえる関係性も愛です。

この区別を認識していると愛に関して混乱し難い

かも知れません。

自分自身の愛を欺くと出来上がる関係性も嘘になります。

まずは愛を鮮明にしましょう。

愛は人間以外でも成り立ちます。

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