風の時代を幸運に生きるために

sponsored link

風の時代の乗り切り方という記事を書きましたが、

これを書いた理由は、スピリチュアルな苦しみ

というキーワード検索と繋がりがあるからです。

スピリチュアルな苦しみは、もっと言えば漠然とした

不安と言えるものです。

このような括りはスピリチュアルな不安や苦しみ以外の

ものも沢山あります。

しかし人間のエゴにとってある程度物事が把握出来れば

それがスピリチュアルなものだろうが医学的な根拠が

あろうが単なる勘違いと気付こうが同じです。

そのような認識を前提にしながら、それでもスピリチュアルな

不安や苦しみが起こり易い状況にあるので書いています。

地の時代は、集めて増やす意識の運動ですから多くの人間の

エゴに沿って受け入れ易いものでした。

しかし風の時代は、人間のエゴにとって不愉快なものです。

自分自身を含めてまとまっているように見えるものや

出来上がった価値観、確かだと思っていたものをバラバラに

することで新しい価値観を作り出していきます。

もちろんバラバラにするだけでは破壊ですから何かを

付け加えたり再構築することで新しいものにします。

自分自身にとって関係性の低いものであれば、今までよりも

良くなるから問題ないと思えるかも知れませんが、例えば

自分自身が宝物に思っているような人や物、趣味、文化等を

知らない誰かが様々な要素に分析を加えていることを

知ったらどのように感じるでしょうか?

先ず不愉快に感じると思います。

それが的を得ていれば感心する人もいるかも知れませんが、

風の時代のエネルギーは、分割出来るものは分割してしまおう

という性質を持っています。

sponsored link



運勢、キャラクタータイプ、文化、職種、国等々どのような

括りであっても関係なく確固たるものが無ければ、どんなに

素晴らしい人や物、文化であっても確かなところまで細分化

されていきます。

これはエゴにとっては恐怖以外の何ものでもありません。

冷静にこのような働きを感じることが出来れば、細分化の仕方に

よってそこに眠っている新しい意味が発見されます。

それは地の時代には、眠りに就いていた意識です。

冒頭の方でスピリチュアルな苦しみであってもそうでなくても

構わないと書きますが、それは人をどのように分割しても

その人の魂の本質は、無くならないからです。

ですから漠然とした不安や恐怖で精神が健全に働かなくなって

自分自身で何も判断出来ない状態になっている人も大丈夫なのです。

もちろんリンク記事で書いたように物質的な部分(地の時代)は、

依代として重要ですから自分自身の精神のコントロールを失えば

実際的な豊かさを自由に受け取ることは出来ません。

そう言った意味ではやはり損をします。

しかしそれは地の時代も同じです。

自分自身を放棄することは豊かさを得るパイプを捨てることです。

美味しい食事が無料で食べることが出来るのに、皿やスプーンを

捨ててしまうことと同じです。

エゴで統一された自分自身は、皿やスプーンという言い方も出来ます。

皿やスプーンが無ければいつもお腹を空かしていないといけません。

ここはあの世ではありません。

スピリチュアル部分と身体的な側面は、ぴったりと引っ付いていないと

豊かさを得られないどころか病気になります。

風の時代のエネルギーは、弱い繋がりや偽りの結び付きをバラバラに

するだけではなく関連性のあるものはせっせと並べます。

そうは言ってもネガティブな言い方をすれば強力な分裂作用です。

そして関連性のあるものを並べると言っても融合させるような

温かみのあるものではありません。

新しい意識を誕生させることが目的です。

ですから個人は自分自身にとって確かなものがどのようなものと

関連性があるのか知ってそれに沿って動いてみるのもありかも

知れません。

ただエゴで動いてもこのような分裂作用にはついていけないので

オートマチックで良いと思います。

思い煩うことなかれです。

ただ不安に負けてエゴを優先して推進すると確固たるものはない

どころか実体すらないものを追いかけ回して時間とエネルギーを

ただ無駄にします。

これは、悪い意識が行うことです。

漠然とした不安を押し付けられそうな相手に押し付けようとして

裏工作、執着、待ち伏せ、監視と言ったネガティブな行動パターンに

多大なエネルギーと時間を浪費していきます。

一言で言えば地縛霊です。

生きたまま地縛霊のようになっている人は、集団化出来ますから

ある種の安心感を得られます。

しかしその安心感は偽りです。

自分自身の本質を通してもっと確固たるものと繋がることが

スピリチュアルの良い部分です。

このような確信は、他人が与えられるものではありません。

自分自身に対して仮説を立てて実行しながら、その試行錯誤の中で

少しずつ出来上がっていくものです。

そのために人生という時間があると言っても過言ではありません。

sponsored link
error: Content is protected !!