場面緘黙症とホロスコープの関係

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場面緘黙症とホロスコープの関係の関係という凄いタイトルを

つけてしまいましたが、難しい読み方ではありません。

このような記事を読まれる方は、基本的な占星術に関する知識を

お持ちだと想定しています。

場面緘黙症という言葉は、本当は医療関係者しか使っていけない

のかも知れませんがホロスコープの一定の関係性が見られますので

そのことについて触りだけを書きます。

何故触りだけかと言うと絶対的なホロスコープの配置ではなく

相対的な配置だからです。

1、まず言えるのは一般的なテキストに載っているような

怒りを感じ易い配置やアスペクトを持っています。

そして簡単なテキストには載っていない複合アスペクトが

強い怒りを表す場合も重要です。

しかしこれだけでは場面緘黙症みたいな状態にはなりません。

2、「1」の怒りに満ちた配置やアスペクトは、当事者だけではなく

親が持っていても子供は、場面緘黙症になることもあります。

このような場合と本人自身が持っている場合は、後々の展開は

異なります。

3、そして最も問題になるポイントです。

「1」も「2」もチャラになるような条件です。

これは何らかの理由で怒りを抑圧したり怒りに対して防御することが

許されない状況を抱えているということです。

これがなければ場面緘黙症には、なりません。

怒りが強い配置やアスペクトを持っていても必ずしも場面緘黙症に

ならないということです。

もちろん怒りが強い配置やアスペクトを自分自身で持っていて

それを自由気ままに表現すると別の問題が生じることになります。

まとめ

タイトルの割りには、中身はこれだけか?と思われるかも知れませんが、

具体的に書くとこのアスペクトがあれば必ずこうなると解釈される方が

いらっしゃいますし、そのような書き方をすると本当に理解して

頂きたい方や真に伝えたい内容が損なわれてしまいます。

書いた内容を理解して頂ければ本当にケースバイケースであることが

理解出来ると思います。

そして重要なことは、自分自身を守っても良いと理解することです。

守られるべき尊厳を持っていることを理解すべきです。

ですから自己防衛が不可能な場合は、逃げれば良いだけです。

必ずしも解決する必要は無いのです。

現実の問題は、もっと複雑ですからこのように単純に考えることは

難しいですが最終的に安全な状況を手に入れることが必要です。

安全は、理想でも幻でもありません。

幸せに安全は付き物と言うか当然のセットです。

危険なのに幸せというのは特殊性があります。

このような前提があった上で如何に怒りの配置やアスペクトを

適切に表現するかという問題に取り組むことになります。

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