生き辛い人生をワクワクしたものに変える愛の存在

生き辛い人生の理由を一言で述べると自分自身を過小評価

していることにあります。

個人は、大きな命が分けられて小さな個の中に仕切られた

状態ですから、決して万能では、ありません。

しかし、どこかで大きな命みたいなものと繋がっています。

楽しい人生とは、それに向かって積極的に繋がりを求めている

状態と言えます。

個人全体(占星術的には、ホロスコープ全体)が心臓のようになって

全力で鼓動を打っている状態を頑張っていると言いますが、

全身で鼓動を打てば打つほどワクワクしている状態です。

長所とは、他人と比較して、決めることではありません。

自分自身のワクワク感を作り出せる能力を長所と言います。

他人と比較して、とても恵まれているのに、その人と比較して、

はるかに大変な状況で頑張っているのに、何故、あの人は、

自らを選択したのだろう?と聞かれることがありますが、

その人自身が、生きていてワクワクするどころか、無感動な

状態に陥っていてしまえば、生きることは、とても辛い

ものになります。

生きることの辛さは、このような個人的なことだけではなく、

他人を犠牲にして、ワクワク感の錯覚を得ようとする人も

かなりの数で存在しますが、そのような人の餌食として

狙われることからも発生します。

長所や短所が他人との比較で決まると教え込まれた状態では、

長所が沢山あっても他人を犠牲にしないと生きている実感が

湧かない人を大勢作り出してしまいます。

多くの長所を持ち生き辛い人は、力任せ(お金や社会的地位)で

犠牲を手に入れようとする誘惑に晒され易くなります。

そのようなビジネスがあり勧誘するからです。

多くの長所を持ったまま生き辛い価値観の中に閉じ込められると

無限に稼ぐことが出来て、永遠の寿命のようなものを

求めるようになります。

果たしてこれは、天国なのか地獄なのか?

少なくとも多くのの犠牲を他者に担わせることになります。

苦しみにバケツリレーに多くの人を参加させるのです。

そして誰もが、その末端になるまいと我先に逃げだそうとします。

そのようなバケツリレーから離れるには、自分自身の長所を

本来の使い方で用いることです。

しかし、それは、難しいことかも知れません。

何故か?

愛が必要になるからです。

自分自身の長所が生き辛さから解放されるほど役に立つと言うことは、

大きな命に能動的に触れることが出来るくらいに腕を伸ばす力が

必要になります。

これを可能にしてくれるのは、愛です。

自分自身の長所であって、それに取り組んでいても、案外、それが

自分自身を守る殻(防御の壁)を作ることで精一杯と言うことは

よくあるものです。

大きな命みたいなものは、自分自身を守る殻(防御の壁)の先に

ありますから、壁を壊すような行為には、生き辛いと感じる

ほとんどの人が尻込みします。

自分自身を守る殻(防御の壁)の中で何とか人生をやり繰り

しようとするのです。

ワクワクする状態になるために必要十分なものを与えられていると

気付かせてくれるのは、愛以外の何ものでもありません。

そのような恋人やパートナーと出会うために何が出来るのか、

ホロスコープを読んでみるのも興味深いかも知れません。

完全ではない世界とワクワクする気持ちは、併存出来ると言うことです。

絶望は、完全な世界を得られなければ救われないと思ってしまう

ことにあるかも知れません。

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