結婚の相性と生と死について

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ブログは、誰でも見ることが出来るので書かないことも

沢山あります。

人の死を強く感じると色々なものが押し寄せてきて

やはり暗い気持ちになるものです。

私たちは、生まれてから本当に亡くなるまで死なないと

考えがちですが、実はちょいちょい死の要素は

私たちの中に入り込んできます。

そのことを普段は、感じないようにして生きています。

私が昨日、三浦春馬さんの死に気が付いたのは、

以前書いた「ホロスコープ 死にたい」という記事が

いつもよりもかなり多く読まれていて急に上がって

きたものですからニュースを確認したらこんなことに

なっていました。

私たちのホロスコープの中には、死に繋がる要素も

生きるときに動き出す要素もあって、その途中を

グラデーションのように他の要素が繋げています。

普通、何かを占いたい場合は、目的の達成や叶えたい

願いを中心に物事を考えます。

しかし、そのような考え方は自分が永遠に生きるような

前提になっています。

本当に幸せでいたければ、少なくとも死にたいとか

強く思わずに自分なりに楽しく生きるためには、

死と生の間にある様々な出来事に執着するよりも

今日生まれてちゃんと死んで

また明日ちゃんと生まれるような

リズムや行動を大切にする必要があります。

これは目標や願いを適当に扱っても良いという

意味ではありません。

(普通は生と死の順番で考えますが、このような記事は

死を先に意識します。

死が気になる人は、明るく生きていても死が

前提にあります。これはおかしなことではありません。

ホロスコープの説明は割愛しますが、そのような

タイプの人もいるということです。

個性と言えば個性です。

死に対して親近感を持ち易いタイプの人とも言えます。

しかし、そのことと死を選ぶことは別です。)

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ある一つの目標に命を懸けるような頑張り方を

しても燃え尽きてしまう場合もあります。

必死に頑張ること自体が悪いのではなく

死と生のリズムを無視した頑張り方をするからです。

このブログでは、様々な理由で生き辛い人が

第8ハウス(結婚生活)を利用して生まれてきて良かったと

思えるような幸運術を中心に書いていますが、全ての

願いを叶える価値も生きていればこそです。

個人にとって生きることは、アセンダントが意味する

行動から始まります。

そしてあれこれ頑張って浄化されて存在は消えていきます。

つまり死が訪れます。

死と生のリズムじゃら生まれる結婚の相性は、仕事運、

恋愛運、結婚運等の個別の運の良し悪しではなく、

一緒に生きることできちんと死ねることに意味があります。

きちんと死ぬには、仕事、恋愛、結婚生活、趣味等々

様々な要素が自分らしく程よいバランスをとらなければ

いけません。

そうなると何でもかんでも一般的な意味で良い結果を

出せば良いという問題でないことは、理解出来ます。

命の選別発言問題(魚座の豊かさと大西つねき氏問題)

山本太郎さんが謝罪会見を開きましたが、人それぞれ

自分らしいバランスで死と生の間に生じることを

達成したり楽しんだり、頑張ったりすれば良いという

理解があれば、命を選別する基準がないことは

理解出来るはずです。

仕事運がゼロでも生きる価値はあります。

恋愛運がゼロでも生きる価値はあります。

結婚運がゼロでも生きる価値はあります。

このブログは、愛を育て直す場として愛情の3つの

ハウスの中で第8ハウス(結婚生活)を推していますが、

第12ハウスを積極的に利用しても良いわけです。

その他の運も同じです。

何が無ければいけないということはありません。

その人がちゃんと生きて死ねる運があれば

それで大丈夫です。

逆にそれ以外を熱心に求めてもかえって

ちゃんと死ねなくなります。

それはちゃんと生きられないということです。

ここで言うちゃんととは、自分の個性(第1、5、7ハウス)を

全う出来ないということです。

一つの幸運に対して3つのハウスを利用するのは

グランドトラインのエネルギーを使うためです。

死と生の相性という大枠ではなく、個別の要素の相性が

どれだけ良くても必ずしも良いとは限りません。

死と生の相性も良くて個別の相性も良ければ

最高ですが、結婚生活は、死と生の相性が良いことが

大切になります。

簡単に言えば、楽しいだけでは、社会的な成功を得る

だけでは死に切れない、生き切れないということです。

その人の個性について第1、5、7ハウスについて

言及しましたが、具体的な個性は身体を通して先祖から

与えられます。

身体の状態は、完全に同じホロスコープでも両親が

異なれば違ってしまいます。

そうなるとそのホロスコープが表す内容が具体化した

ものもまったく異なります。

死と生の問題は、少なくとも祖父母とも大いに

関係がありますから、結婚の相性に関しても

お互いの祖父母の人柄まで含まれるということです。

そこまで見て考慮して占う人は、なかなかいません。

この記事で伝えたいことは、だからそこまで相性を

考えないといけないということではなく自分らしい

死と生の間に自分にとって必要な運があるということです。

それは自分にとってそれほど必要でない運もあるという

ことでもあります。

ですから生まれ付き身体が不自由な人も幸福になれます。

他人を圧倒するような才能がなくても幸運はつかめます。

容姿が望むものでなくても大丈夫です。

本当に伝えたいことは、誰でも自分らしい大切な運を

持って生まれてきているということです。

それを福分と言います。

占星術を使ってそれを理解する場合は、やはり

ホロスコープ全体をしっかりと読む必要があります。

その時に欲しい運の成否を見るのではなく死と生を通して

しっかりと読むことです。

その間にある個別の運にその人らしいバランスがあれば

結婚の相性は自然と収まるところに収まります。

叶わない方が良い運もあれば、他人が持ち得ないような

長所を育てることが必須の場合もあります。

変な例えですが、普通の仕事がまったく出来なくても

霊能力で生きていける人もいます。

そうなるとその能力付き合えて尚且つ一緒に伸ばして

いける相手が相性の良い人の大前提になります。

その上で楽しければ尚良いということです。

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