三浦春馬さんと誰もが対話出来る理由

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何故か、毎日、「三浦春馬 霊視」という検索キーワードが

上がってきます。

三浦春馬さんを霊視したい人がいらっしゃるのでしょうか?

そもそもの問題としてスピリチュアルな観点で言えば、

我々肉体人間が生きている三次元の世界が、異質な世界で

あってそれ以外の世界がノーマルな状態という認識があります。

このような書き方をすると生きている人間の根本から立ち位置が

おかしくなるので書き難いのですが、霊的な世界から見ると

そういうことになります。

どんな立場でも自分自身が身を置く場所が正常に思えるものです。

三浦春馬さんの死が悲しい人へという記事を書きましたが、

出来るだけ生きている立場に沿って書いたものです。

亡くなった人からすれば亡くなった後の死後の世界が

日常生活になります。

私たちがこの世に生まれ落ちた時に一度自分自身が何者かを

すっかり忘れてしまったように、あの世に移るということは

体を持ってこの世で生きていた時代の重要でないことに

捉われません。

上手く思い出せないと言ったら変ですが、それほど気にならない

と言った方が適切かも知れません。

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この世に生きている私たちもあの世に行ってしまった人たちも

同じように魂は持っていますから、完全に繋がりが途切れる

わけではありません。

圧倒的に制限の多いこの世よりもあの世の方が魂にとって

はるかに快適でしょうから、何となくこの世でのことに

こだわれなくなると言ったとこでしょうか。

ですからこの世に執着し過ぎる霊はよっぽどの何かが

あったということになります。

そのような霊は、見えることもあるでしょうが、曲がりなりにも

成仏したような霊について霊視するということは、よほどの

ことが無ければあり得ません。

何らかの理由で霊の側が生前の自分自身の姿を見せたいという

意図があれば別でしょうが、三次元の側から向こうを

覗き見ることはあり得ないとは言いませんが、向こう側に

見せる意図がなければほぼ無理でしょう。

ただ霊的な意味で繋がりが持つことが出来ないわけでは

ありませんから自分自身持っているエネルギーと呼応する

分だけ返ってくるものはあります。

では自分自身と対話しているのかと言えばそういうことでは

なく、自分自身のエネルギーと呼応する範囲の中で

エネルギーのやり取りをするということになります。

しかも実際に言語を使っているかどうかと言えば、それは

ケースバイケースのはずです。

異言語であっても分かるという感覚が得られる場合も

あり得るでしょう。

その場合は言語的なコミュニケーションではなく

命のデザイン、命のリズムのやり取り、交流の中で

感じるものをこんな感じだったということになります。

これは同じ言語を使っていても基本的に同じです。

ですからタロットカードの使用をお勧めします。

生きている人間の肉声を聞くように聞き取るのは

それはちょっと違うからです。

鼓膜に響くとかではなく、もっと直接的な響きのはずです。

その場合は自分が引くのではなく、引いてもらうという

意識が大切です。

それでも自分自身が持っているエネルギー以上のやり取りは、

基本的に出来ません。

このようなことを踏まえて三浦春馬さんと対話したい人は、

自分自身を整えてタロットカードを引いてみて下さい。

その人にしかない命です。

その命だからこそ可能な呼びかけがあります。

ただし呼びかけられるのは、本当に心に響きがある時だけです。

そのためにはコツコツ考え続ける必要があります。

その中で対話の糸口が閃くはずです。

それが得られた時には開いている可能性がありますから

正直になって下さい。

何も閃きがないのに我欲で引いても出鱈目になります。

これは自分自身に正直になれば絶対に分かります。

そのような時は無理にすることは出来ません。

言い方を変えれば問いたいことがあれば何日もかけて

そこに自分自身を調整していくことが必要ということです。

しかしそれでも実際の返答を見ると違うことの返答内容に

なっていることもあります。

その場合は強引に解釈せずに返答の意図をまず考えることです。

そうすれば理解出来ることもあります。

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