占星術を通して得た視点は仮に生まれ時間が正確で
あっても仮説であって絶対的な正解ではありません。
一つ一つの象徴的な意味は広いですし、解釈も
より洞察を深めることでいくらでもより良いものを
望むことが出来ます。
それでもホロスコープとちゃんと向き合うことで
より良い仮説を手に入れることは必ず出来ます。
生きることは死ぬまで「こうしたらどうなるかな?」
という試行錯誤の繰り返しです。
まったく同じ内容の人生であっても良い仮説を
立てて取り組んだ人生とそうでない人生は
生きた実感、充実感に雲泥の差が生まれます。
私たちの幸福感は大人になればなるほど
他人に与えられたものや単なる偶然よりも
自分の知性をフル稼働して広げたイマジネーションを
どのように現実に定着させるか、するのかという
個人的な興味に感動の軸足が移っていきます。
イマジネーションの受け皿となる対象は本当に
人それぞれです。
本当に何でも構いません。
特に第12ハウスに月がある人や天体が多い人は
仮説が大切です。
なぜなら第12ハウスタイプの人にとって仮説は
仮のものではなくそれそのものがかなり失われた
本当の自分に近いからです。
なかなか感じることが出来ない気持ちや
感じていても表現出来ない気落ちに近いからです。
第12ハウスに天体が多い人、その中でも月が
ある人はアセンダントをソーラーアークの月が
通過する時に受ける衝撃が占星術的一般論として
不運なタイプの人扱いの直接的な原因になります。
幼児さんや若年の頃に受けたインパクトの強い
印象に感情が一部奪われます。
これをそのまま放置すると多くの場合はあまり
良い影響はありません。
感情、気持ちの一部を何かに食われてしまったような
第12ハウスに月がある人は、その食われた部分を
取り戻すことで幸運になれます。
それが出来なければ一般的に言われるような
何かに奉仕するようなことでしか自分を守れません。
奉仕と言えば聞こえが良いですが、影響を受け易く
実感の希薄な第12ハウスの月は誰かの欲望の
実現に対して従事することでしか個人的なリアリティを
得られないということなのです。
奉仕活動自体が悪いという意味ではなく、同じ人間として
他者の欲望に従事しなければ安定しない状態は
フェアではありません。
幸運ではないということです。
そのような状態を避けるには仮説を立てることが
一番です。
仮説の中には必ず失われたものの成分がいくらか
潜り込みます。
失われた心はその人から遠く離れているだけで
あって消え去ったわけではありません。
現実的には仮説を立てたものを託す具体的な何かが
必要になりますが、第12ハウスに月がある人個人に
とっては仮説を作るだけでも十分に失った気持ちを
取り戻す効果があります。
しかし具体的に託すものが無ければ他人には見ません。
他人に見えないと言うことは、その分だけ不利益に
扱われることを意味します。
第12ハウスにある天体は、それぞれの天体が支配星に
なっているハウスに関してなかったことにしてしまいます。
少なくとも自分以外の人たちにはそのように映ります。
他のハウスに月があるタイプの人たちのように他人から
見える状態になれれば、普通の人はあなたを不利益に
扱うことはないでしょう。