竹内結子さんが何故、今、いてくれないのか(タロット占い)

sponsored link

今日は、竹内結子さんの誕生日です。

何故、生きて今年の誕生日を迎えることが出来なかったのか

カードを引いてみました。

1枚目のカード

吊られた男の正位置

1枚目のカードは、このタロット占いの過去や動機を表しています。

吊られた男のカードですから、竹内結子さんは、次第に自由に

動き難くなる状況に陥っていったと読むことが出来ます。

もしかしたら何らかの心配事があったかも知れませんし

遠いところから少しずつ引き剥がしが始まっていたのかも知れません。

しかし、2枚目のカードは、コインの7のカードですから

そのまま衰えてまったく動けなくなっていったという流れでは、ありません。

2枚目のカード

コインの7の逆位置

2枚目のカードは、このタロット占いの中心となるものです。

コインの7のカードですから、竹内結子さんは、何かを世の中に

流そうとしたと読むことが出来ます。

このような解釈は、マルセイユ版のデッキを使用しているので

コインの元素と「7」という数札として読んでいます。

何かを世の中に流すという意味は、もし竹内結子さんが女優ではなく

何らかのビジネスをしていれば商品を流通させるという意味になります。

しかし普通のタロット占いみたいに目の前にお客様として

椅子に座っているわけではないので、実際にどんなものを世の中に

流そうとしていたかは、聞くことは出来ません。

三浦春馬さんと同じようにボランティア活動に関心があったようなので

そう言ったことかも知れません。

ただ逆位置ですから。それは竹内結子さんが思っていたようには、

ならなかった可能性があると読むことが出来ます。

「7」のカードは、オールオアナッシングなので曖昧になり難い

傾向があります。

3枚目のカード

ソードの5の逆位置

3枚目のカードは、2枚目のカードの先の状態を表しています。

2枚目のカード解説のような読み方になりましたが、それでも

ソードの5のカードですから自分自身の意見や情報を一方的に

発信すると読むことも出来ます。

一方的と書きましたが、それは相手が存在するからです。

1枚目のカードでは、竹内結子さんが吊られた男のカードのような

状況になった原因を作った存在です。

2枚目のカードでは、「7」が表している竹内結子さんと対局の

価値観にある存在です。

しかし、ここでも逆位置ですから、それも上手くいかなかった

可能性があると読むことも出来ます。

sponsored link

4枚目のカード

コインの1の逆位置

4枚目は、竹内結子さんの対策カードになります。

同じ小アルカナの「1」であってもコインのカードの場合は、

具体的な何かを元に物事を始めます。

単なる思い付きとかではなく、しっかりとした現実を元に

取り組み始めたと読むことも出来ます。

しかし逆位置ですから、思う存分取り組めむことは

難しかったと読むことも出来ます。

それは、突然、亡くなってしまうことで未完(1のまま)で

終わったからかも知れません。

5枚目のカード

ソードの10の正位置

5枚目のカードは、相手側の本音部分を表しています。

ソードの10のカードですから取捨選択の最終的な形が

実現することを望んでいます。

本来ならば、そのような望みは自分自身に向けるものです。

信念に生きることで社会的地位を失ったり、損失を受け入れたり

状況によっては、誰かを助けるために自分自身が命を失うことも

あるでしょう。

しかし、このタロット占いの相手は、それを竹内結子さんに

求めたと読むことが出来ます。

このタロット占いの中心となる2枚目のカード解説で書いたように

竹内結子さんと対極になる価値観の存在ですから、竹内結子さんを

通して最終的な思想(ソード)を実現するということは、竹内結子さんを

否定することになります。

ウエイト版のワンドの10のカードデザインは、最終的な取捨選択が

心身に及ぼす影響を的確に表現しています。

6枚目のカード

ワンドのナイトの正位置

6枚目のカードは、竹内結子さんの深層心理を表しています。

1枚目から3枚目のカード解説で書きましたが、かなり

アグレッシブに取り組むつもりだったと読むことが出来ます。

7枚目のカード

世界の逆位置

7枚目は、このタロット占いのまとめ的なカードになります。

竹内結子さんは、何らかの発信(3枚目のソードの5のカード)を

通してある種の理想的な場を作ろうとしたと読むことが出来ます。

しかし逆位置ですから、叶わなかったということでしょう。

ほとんどイマジネーション部分を抜いてカード解説のみを書きました。

見えてくるものは、連綿と続く人間の歴史みたいなものです。

21世紀になっても、そのようなものは、日常と非日常の境界線に

特殊な扉を設けて出入りしているようです。

sponsored link
error: Content is protected !!