スピリチュアルな苦しみが発生する理由とその対策

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スピリチュアルな苦しみ、浄化と怨念の関連記事です。

繊細な人にスピリチュアルな苦しみが発生するのは

当然かも知れません。

なぜなら何かを感じることは、善悪やポジティブとか

そうでないとか、嬉しいとか嬉しくないとか

簡単に白黒つけられない部分の方が圧倒的に多いからです。

これを何かの事情で自分自身の感情をどちらかに

振り分けないといけなくなるとスピリチュアルな苦しみが

発生し易くなります。

だったら曖昧にしておけば良いということになりますが、

虐待やアクシデントで心に深い傷を負うと曖昧にしたくても

出来ないから楽になりたくて自分自身の感情(内面の態度)を

はっきりとさせたくなります。

普通に言えば何かにすがりたくなる状態です。

しかしそうそうすがれるものは見つかりませんし、そのような

関係性は相手が人であっても何かの物であっても依存したり

中毒になったりして最終的に裏切られたように感じます。

なぜならば相手が人であっても物、手段であっても

その人の心の大半を占める曖昧な部分の代わりになれるような

存在ではないからです。

良い関係性を築ける可能性はありますが、代わりにはなれません。

もちろんスピリチュアルな苦しみが強い時には、自分自身を

放棄(依存)して誰かに若しくは何かに生きる重さを担って

欲しいと願うのは当然です。

しかしこの曖昧な部分を誰かに投げ出す楽にはなりますが

今度は別の苦しみが待っています。

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もちろん投げ出した相手や物、手段によって苦しみの

程度や種類は変わりますが、その対象が何であれそれが

本来の自分自身の喜びを制限することには変わりありません。

それに気がついてそえrを取り返すのにもかなりの時間が

かかってしまいます。

しかし絶対に誤解して欲しくないのは、その相手や物や

手段は、どこまでもそれ自体の性質を持っているだけであって

それらが健全であれば自分自身の曖昧な部分(主体性の正体)を

手放さなければ宝物になったり生涯の伴侶になる場合もあります。

心の傷が酷くて曖昧な部分(主体性)を手放した理由は、孤独を

恐れたからです。

幸せな関係性を築くには、お互いが孤独でなければそれ自体が

生まれません。

背負うべき孤独を回避すると相手は、甘えられれば誰でも

良い状態になります。

このような状態が、本当の孤独です。

その相手が人であっても物であっても、手段であっても

しっかりと認識されないままで関係性は育っていきません。

主体性という曖昧な部分は、記憶と選択が作り出している

不思議な世界です。

虐待やアクシデントによって記憶が偏った状態になったり

(故意に又は無意識に忘れた状態)、何かが怖くなって

選択することを放棄すると主体性は成長を止めます。

そしてただのドロドロとした謎の存在になっていきます。

酷くなればなるほど今度は、それを感じて自分自身が

怖くなります。

人によっては拒食症や過食症、自傷壁、買い物や性依存、

正確によっては苛めることが出来る相手や破壊出来る対象を

探す場合もあります。

ではどうすれば良いのか

ここからが対策です。

記憶を取り戻して下さい。

そして選択を再開して下さい。

全てをいっぺんにする必要はありません。

まず小さなことをコントロールすることに慣れます。

そして少しずつ心を取り返していきます。

取り戻した記憶と選択はセットです。

上手くいくと仲間が増えます。

それは人なのか物なのか手段なのかは、人それぞれですが

それらはあなたの世界の住人です。

知人程度なのか親友なのかは、記憶と選択の繰り返しの中で

決まっていきます。

スピリチュアルついでに書くと記憶は、過去に限りません。

未来の記憶っぽいものもあるはずです。

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