生きることを諦める気持ちから立ち直る方法

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三浦春馬さんの死とノード軸と言う記事に

「自分自身を支える幻想が根本から崩れるから

食べられなかったのでしょう。」と書きました。

これは、戦後すぐに闇米を食べずに餓死してしまった

裁判官のことを引き合いに出して書いた言葉です。

多くの人が闇市を利用して食料を調達していました。

政府配給の食料だけでは、餓死してしまうからです。

それでも食べないという選択は意思を持った死です。

このような亡くなり方は、明確な理由があるので

自殺とは異なりますが、自分自身を支える信念を

裏切れないという意味では共通するところがあります。

静かに餓死に向かっていくことは自殺とはかなり

異なりますから同列に並べることは出来ません。

それでもその人を支えるものであれば、それを

失うことはあり得ないのです。

本当に失ったように感じた瞬間からそれまでの

自分自身と同じでいることは不可能になります。

それまでであれば、愛を認識する条件と反する

ものに対して嫉妬や憎悪で対抗していますが、

もはや嫉妬や憎悪も意味を持ちません。

新しい土台(最終的に愛)を得ることしか立ち直る道は

あり得ません。

誰にでも愛を認識する条件があり、それが崩れれば

同じような心理状態になります。

身体が元気であっても精神が身体を維持する力が

失われていきます。

ですから、この愛を認識する条件は、生命維持装置と

同じ役割を果たしています。

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そうは言っても新しく愛を認識する条件を構築することは

発狂するような思いをくぐり抜けていくことになります。

ですからここで人は死に物狂いで抵抗します。

多くのトラブルや犯罪は、その表れです。

悪いことと理解していても、ここで負けられないのです。

人々が戦後に闇市で食料を調達したように生き残るために

建前のルールを越えていきます。

これは限りなくグレーゾーンです。

どこまでが許されて、どこからがそうでないのか

見えない一般常識があります。

その範囲でやり繰りしないと様々な意味でまずいことに

なっていきます。

これは完全なインサイドワークであり正しいか

正しくないかと問われれば正しくはないでしょう。

他人のこのような正しくない部分を探しては、

徹底的に攻撃することを生きる支えにしている人も

かなりいます。

そうしないと自分自身の生きる条件を守れないからです。

しかしこのような他人の生き血を吸うような行為は

客観的に見ると惨めなものです。

しかしこうやって生き残ろうとするケースは実際、

多いものです。

生き血は、その人が失った生の感情を癒すからです。

その時だけ瑞々しい気持ちが蘇るからです。

このような惨めさを受け入れずに乗り越えようとしても

方法が分からずに餓死する人も少なからずいます。

醜くくなる自分を受け入れられずに死を選ぶ人もいます。

その結果図らずも累々と亡骸が積み上げられていきます。

このような事態を避けるために第12ハウスの利用方法に

ついて書いています。

そして何よりも愛を認識する条件を再構築するために

第8ハウスを利用することを勧めています。

愛を認識する条件を失う経験をする人には、共通点が

あります。

それでも誰かと新しい愛を認識する条件を作っていく

しかありません。

第4ハウスで愛を認識する条件を確認します。

それを失いつつある時、失われてしまった時は

第12ハウスを使って辻褄を合わせながら生き残ります。

第8ハウスを利用して新しく愛を認識する条件を

自前で作り上げます。

第4、8、12ハウスを利用する個別の方法は、これまで

少しずつ書いてきました。

ケースバイケースですから無限に方法はあります。

自分自身のホロスコープの内容を徹底的に置き換えて

いくことです。

それぞれの天体や感受点の意味は決して一つではありません。

言い方を変えれば意味が一つだったとしてもそれに伴う

現象は無限にあります。

その無限の豊かさの中から手に入れられるものを使って

新しい内容を作っていきます。

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